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「ラウリ・クースクを探して」書評 水晶にも似た澄明で硬質な物語

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2023年09月30日
ラウリ・クースクを探して 著者:宮内 悠介 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:小説

ISBN: 9784022519269
発売⽇: 2023/08/21
サイズ: 20cm/236p

「ラウリ・クースクを探して」 [著]宮内悠介

 最後のページを読み終えた途端、ああと吐息が漏れた。作中、少年たちの友情の証(あかし)として登場する水晶にも似た澄明かつ硬質な物語に、ただただ酔いしれた。
 歴史の激動を生きた人物をヒロイックに描くことはたやすい。奔流の如(ごと)き志や、未曽有の事件を成し遂げた偉業についても同様だ。だがどんな激しい時代も世の多数を占めるのは何も成せず、声すら上げられず、ただ歴史の荒波に翻弄(ほんろう)される平凡でか弱い人々だ。
 本作はソ連時代のエストニアに生まれ、コンピューター黎明(れいめい)期からプログラミングを得意とした男、ラウリ・クースクの半生を通じ、古今東西に数え切れぬほど存在する名もなき人々の残影をも描き出す。
 1977年生まれのラウリの生涯には、エストニアの独立運動やソ連の崩壊が常に遠景として存在する。中等学校で出会うエストニアの少女カーテャ、ラウリ同様にプログラミングを得意とするロシア出身のイヴァンとの友情は時代の激動に引き裂かれるが、ラウリ自身はその事実に激しく身悶(みもだ)えしつつも、自ら何かに挑むわけではない。だがそんな立ちはだかる困難に挑み得ぬラウリの生き様は間違いなく、埋もれがちな歴史の断片なのだ。
 ただ注意すべきことに、本作は決して単純に歴史小説と分類し得る作品ではない。あくまでラウリという一人の青年の――生身の普遍的な人間そのものに焦点を据えた「物語」だ。作中、ジャーナリストの「わたし」は、ラウリの足跡をたどる旅に出る。そして読者はこの人物の眼(め)を通じ、動乱の時代をひそやかに生きた人々の日々を垣間見る。ここに描き出されるのは決して、ただの異国の光景ではない。ラウリの姿は現在社会に生きる我々自身と重なり合い、読み手に自身の日常のはかなさ、かけがえのなさを突き付ける。
 ラウリ・クースクを探す旅は、我々自身を見つめ直す旅なのだ。
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みやうち・ゆうすけ 1979年生まれ。『盤上の夜』で日本SF大賞、『カブールの園』で三島由紀夫賞。