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「イーロン・マスク」(上・下)書評 現実を捻じ曲げる驚きの起業家

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2023年11月11日
イーロン・マスク 上 著者:ウォルター・アイザックソン 出版社:文藝春秋 ジャンル:伝記

ISBN: 9784163917306
発売⽇: 2023/09/13
サイズ: 20cm/462,13p

イーロン・マスク 下 著者:ウォルター・アイザックソン 出版社:文藝春秋 ジャンル:伝記

ISBN: 9784163917313
発売⽇: 2023/09/13
サイズ: 20cm/449,10p

「イーロン・マスク」(上・下) [著]ウォルター・アイザックソン

 いったい何という男がいたものだろうか――。
 この伝記を読み終えたとき、胸を覆っていた素直な思いだ。
 いま、イーロン・マスクの作り上げたスペースXは宇宙開発をリードし、日本人飛行士がそのロケットに乗って宇宙に飛び立つことも当たり前になっている。
 テスラで電気自動車を世界中に広げ、AIやロボットと人間の共生を目指し、昨年にはTwitterを買収した世界一の富豪であるマスク。では、人類の火星進出という未来を本気で作り出そうとしているこのアントレプレナー(起業家)は、いかにして無謀とも言えるビジョンを実現してきたのだろう。
 伝記作家ウォルター・アイザックソンは本書で、破壊と創造に満ちた彼の壮大な成功と失敗を、波瀾(はらん)万丈な私生活や毀誉褒貶(きよほうへん)も大いに含めながら描いていく。
 マスクはとても現実的とは思えないビジョンを掲げ、ついにはその現実の方を捻(ね)じ曲げてしまう、とアイザックソンは書く。
 ペイパル、スペースX、テスラ、衛星通信システムのスターリンク……。常にそうだ。マスクは規範や要件を疑い、全てをゼロから考え直して自身の狂気じみたハードワークに周囲を巻き込んできた。
 エンジニアが働く現場に乗り込み、脅迫的なやり方で圧力をかける狂騒は読んでいるだけでも胃が痛みそうになるが、常軌を逸したビジョンをいつの間にか〈単なる大幅な遅れ〉に変えてしまうその手腕には、繰り返し驚かされずにはいられないものがある。
 ペイパル時代をともにしたピーター・ティールとリード・ホフマンは、当時を回顧する本のマスクの章に〈リスクという単語の意味を理解できなかった男〉との題をつけようとしたという。そんな〈リスク中毒〉であるイーロン・マスクのキャラクターと世界観を、これでもかという多数のエピソードによって語らしめる筆致に圧倒された。
    ◇
Walter Isaacson 1952年生まれ。米トゥレーン大教授。米「TIME」誌編集長などを歴任。