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「列」書評 不条理な世界であらわになる姿

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2023年11月25日
著者:中村 文則 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065333396
発売⽇: 2023/10/05
サイズ: 20cm/157p

「列」 [著]中村文則

 目の前に列がある。列はどこまでも長く続いていて、先に何があるのか、後ろにどれだけの人が並んでいるかも分からない。
 なんという不条理だろうか。
 大学で非常勤講師をしながら猿の研究をする物語の主人公は、その列に並んでいる一人だ。彼を含めた人々は当然、苛(いら)立っており、誰もが一歩でも前に進みたい、自分が先頭にいたならどんなにいいだろうと思っている。そして、この場所が最後尾ではなくてよかった、とも――。
 いったいこの「列」とは、何なのだろう?
 堪(こら)え切れずに列を抜け出す者、誰かを出し抜いて一人分でも前に進もうとする者、進みが早そうに見える隣の列に並び直す者……。
 人々は互いに牽制(けんせい)し、疑い合い、別の列に並ぶ人々を羨(うらや)む。物語で描かれるいくつもの場面を読んでいるうち、私はこう問われているような気持ちになった。あなたはこのような状況の中でも、自分自身の手で何かを選び取ることができるか、と。
 列で起こる出来事から感じ取る主題は、読者によって様々であるに違いない。それは合理的であろうとするが故に身動きが取れなくなる社会のあり様かもしれないし、人間のエゴイズムや集団心理の恐ろしさかもしれない。同時に描かれる主人公の奇妙な研究の記憶に触れることで、そこから受け取る問いはさらに深いものになっていくはずだ。
 列から逃れられる者はいない。いま並んでいる列から離れても、人はまた別の列に並ぶことになる。ならば、「いま」を生きることを見つめたい。終局に描かれる主人公の境地に兆すのは、ままならぬ世界における一条の光だろうか。
 問いが宙に浮かび、何者かが地面に書きつけた〈楽しくあれ〉という言葉が胸に響く。色濃く漂い続ける不穏さと、むき出しの形であらわにされていく人間の姿に、小説というものの凄味(すごみ)を感じた。
    ◇
なかむら・ふみのり 1977年生まれ。『土の中の子供』で芥川賞、『掏摸』で大江健三郎賞。