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「ともぐい」書評 自然と人 交錯の果てにある魂

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2024年01月06日
ともぐい 著者:河崎 秋子 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103553410
発売⽇: 2023/11/20
サイズ: 20cm/295p

「ともぐい」 [著]河﨑秋子

 本書の主人公である「熊爪」は、北海道の山で一人、獣を狩って生きる孤高の男だ。
 物語の舞台は、ロシアとの戦争が間近に迫りつつある明治後期。だが、自然の理に従う熊爪は、迫りくる「近代」の足音に背を向けるように、人里離れた山中で猟犬だけと暮らしてきた。
 凍(い)てついた冬山で獲物を追う冒頭の描写を読み、瞬く間にこの世界に引き込まれた。撃(う)ち取られたまだ温かい鹿の血が大地で湯気を上げている。その場で肝臓を口にし、自らが狩った肉を自らの腹に納めることに〈正しさ〉を抱く熊爪の姿と心情に、命を奪う者が「喰(く)らう」ことによって身体に宿そうとする何事かが濃密に描かれているように感じたからだ。
 物語が大きく動き始めるのは、そうして春の訪れが近づいたある日のこと。山中の血の跡を追っていた熊爪は、大けがを負った猟師の男を見つける。男を襲ったのは、冬眠をしていない熊「穴持たず」だという。自身の領域を荒らした熊と、それを仕留め損なった男への怒りを胸に狩りに向かう彼は、息詰まるような追跡の末に「赤毛」というさらなる強力な熊に出会う。そこで繰り広げられる熊同士の闘いのなんと凄(すさ)まじいことか――。
 そして、その圧倒的な自然と人との交錯の先に描き出されていくのが、肉や皮を売るために町を訪れる熊爪の裡(うち)で、自然の理と町の価値観がせめぎ合う様子である。
 町では誰もが避ける熊爪に興味を持つ商店の主人、その家で暮らす謎めいた盲目の少女……。獣のように山で生きることを望む男の中で異なる世界がぶつかり始めるとき、人にも獣にもなり切れない自らの存在に熊爪は向き合わざるを得なくなっていく。
 そうした迷いの果てに死に場所を求め始める熊爪の姿――そこに色濃く浮かぶ魂の震えに、息をのむ迫力を感じた。
    ◇
かわさき・あきこ 1979年北海道別海町生まれ。『颶風(ぐふう)の王』で三浦綾子文学賞、『土に贖(あがな)う』で新田次郎文学賞。