古典百名山

ミシェル・フーコー「言葉と物」 大澤真幸が読む

2018年02月18日

ミシェル・フーコー

■知の枠組みは不連続に変化

 中世(16世紀まで)から近世(17~18世紀)を経て、近代(19世紀~)に至る西洋の学問史の本。と、紹介すると、地味で退屈な本だと思われるかもしれない。しかし、1966年に本書が出たとき、人々はその斬新な歴史観に度肝を抜かれた。
 ふつう学問史には、分野ごとに偉い学者が順次出てきて知識が蓄積され、真理に近づいてきたという物語が書かれる。しかしフーコーの書き方は違った。時代ごとに基本的な「認識枠組(エピステーメー)」がある。同時代の学問は同じ認識枠組を前提にしているので、分野が異なっても同じ構造をもつ。認識枠組は徐々にではなく、突然、不連続に変化する。
 まず中世の特徴は、記号とそれが表す事物とが同じ水準に属していること。世界そのものが一種の書物なのだ。このとき、何かがある事物の記号になりうるための条件は類似である。たとえば紐(ひも)が蛇を表す記号になるのは、蛇に似ているからだ。というわけで、中世の認識枠組の中心にあるのは「類似」。
 類似を鍵にして、旅籠(はたご)屋に城を、女中に貴婦人を見るドン・キホーテは中世の認識枠組を生きている。が、時代は次の段階に移行し始めていたため、彼の冒険は滑稽譚(たん)にしかならない。
 近世においては、記号の秩序と事物の秩序は別の水準に分かれ、人は両者の間に対応を付けることで事物を認識する。記号は事物と似ている必要はない。地図は山や海に似てはいないが認識に役立つ。近世の認識枠組を特徴づけているのは、事物を鏡のように映すこの(記号との)対応、「表象」である。
 近代において初めて、事物の系列から記号の系列を分離し、同時に両者を関係づける蝶番(ちょうつがい)の働きを担うもの、つまりは認識し欲望し意志する「人間」が、認識の対象になる。その人間も「波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」という一言で本書は閉じられる。
 フーコーの予言は当たった。ただ、人間が去った後の空席を埋めるものは、まだ出てきてはいない。(社会学者)

言葉と物―人文科学の考古学

著者:ミシェル・フーコー、Michel Foucault、渡辺 一民、佐々木 明
出版社:新潮社

表紙画像

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