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想像するちから― チンパンジーが教えてくれた人間の心 [著]松沢哲郎

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2011年04月03日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■両者の差異から同類の実感示す

 人間はチンパンジーの子を親から引き離し生態実験などに使うのだが、じつは分類学上この子たちがわれわれ人間と同じヒト科の仲間であることを認識していない。いや、日本では動物愛護法などの法令でもチンパンジーは「ヒト科」と分類している。よって本書では彼らを「三人」などと数え、オス、メスでなく男性、女性と呼ぶ。交尾ではなくセックスと書く。著者は京大霊長類研でチンパンジーと暮らし、この「同類」認識にめざめた。でも、われわれ一般には実感がない。本書の面白さは、その実感を「似ている」点にではなく「似ていない」点によって納得させるところにある。
 人間とチンパンジーのゲノムは1・2%しか違わない。両方ともじっとみつめ合う行動がとれる。霊長類の中でも目を合わせるのはごく一部だ。また、どちらの赤ちゃんも自然に微笑する。外界の見え方や色覚もほとんど同じだ。だったら、たとえば旧石器時代に人間が作った道具をチンパンジーに使わせてみたら、その使用法を解明する役に立つのではないか。でも、人間が文明を持ったせいではなく、二足歩行する前から生じた「差」が大きかったのだ。
 著者が語る「両者の差異」はこうだ。チンパンジー社会は父系家族から成り、女性は子を産み育てると群から出ていくから「祖母」が存在しない。人間社会は両性が協力して子育てするが、チンパンジーの母は5年も子を離さずに育てる。だから赤ん坊が床にあおむけに寝かされると、母親にしがみつこうと手足でもがくのだ。でも、人間の赤ちゃんは母親から離され仰向きに寝かされても、おとなしい。その代わり、みつめたり泣いたりして、離れている親とコミュニケーションが取れる。
 「仰向けに寝ていられることが人間を人間にした」とは、少々胡乱(うろん)な主張に見えるが、言語を例に取ると分かりやすい。とくに、言語が使えるチンパンジーの実験観察は有名だが、その結論はかえって「彼らには真の意味での言語は理解できない」という両者の決定的差異を明らかにする。チンパンジーは鹿を見れば生き物としての形態をそのまま記憶するが、人間はこの動物を「鹿」という概念と文字に置き換え、象徴的に記憶する。事物を見たまま直観で記憶するチンパンジーの記憶力と速度は人間のそれをはるかに超え、彼らの子供はランダムに並べた5個の数字を一瞬で正確に記憶できる。ここで彼らの驚異的な記憶力が人間における自閉症のそれとも比較できる可能性が出てくる。
 逆説的だが、本書を読んでヒトのすごさを見直した。道具利用や二足歩行、言語の獲得以前にヒトはユニークだったのだ、と。
 〈評〉荒俣宏(作家)
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 岩波書店・1995円/まつざわ・てつろう 50年生まれ。理学博士。京都大学霊長類研究所教授・所長。78年からチンパンジーの心の研究を続け、新たな研究領域「比較認知科学」を開拓。著書に『チンパンジーの心』『アイとアユム』など。

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