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近代日本の社会事業思想―国家の「公益」と宗教の「愛」 [著]姜克實

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2011年05月08日

[ジャンル]人文 社会

表紙画像

■利他活動と宗教、関係問い直す

 昨年末からのタイガーマスク騒動や東日本大震災への義援金など、社会的再配分の機運が高まっている。しかし、その持続可能性は、未知数だ。
 ボランティアという語が、もともとキリスト教の「志願兵」に由来するように、欧米社会では神への信仰心が利他的活動の主な動機付けになってきた。寄付などが持続する背景には、キリスト教的精神と教会の活動が存在する。一方、日本では市民的公共圏での宗教団体の活動は限定的だ。そもそも特定の宗教への関与に抵抗を持つ人のほうが多いだろう。
 本書は、近代日本の社会事業の担い手に注目し、彼らが自らの信仰心と国家による政策の間で揺れ動く様を描く。
 本書が特に注目するのは石井十次と留岡幸助という二人のキリスト者だ。石井は岡山孤児院の創設者として知られ、「児童福祉の父」と称賛される。しかし、石井は自らの宗教思想や霊感を至上の価値としたため、施設経営の財政的持続性を考慮せず、その社会的効果にも無頓着だった。そのため、最終的には私的なユートピアの構築に没入し、社会性を失っていった。
 一方の留岡は、社会的効用を重視し、公権力に接近した。しかし、国家が政策としてキリスト教を導入するわけにはいかない。彼は苦悩の末、日本全体に通用する国民的宗教の確立を目指し、二宮尊徳の報徳思想を受容した。彼は上からの国民の教化に従事し、クリスチャンとしての信仰心を見失っていった。
 非社会的なコミューンに没入した石井と国家の論理に回収された留岡。二人の顛末(てんまつ)は、逆説的に国家と個人の間の中間共同体の重要性を浮かび上がらせる。私的領域に閉じこもらず、かといって国家に従属しない開かれた宗教活動は確立できるのか。「公共性と宗教」の関係を問い直すことは、極めて現代的な課題である。本書は、歴史を紐(ひも)解(と)くことで、重要な視座を提示している。
 評・中島岳志(北海道大学准教授・アジア政治)
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 ミネルヴァ書房・5250円/じゃん・くうしー 53年、中国天津市生まれ。岡山大教授(日本近現代史など)。

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