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旧石器時代人の歴史―アフリカから日本列島へ [著]竹岡俊樹

[評者]辻篤子(本社論説委員)

[掲載]2011年05月08日

[ジャンル]人文

表紙画像

■捏造はなぜ見破られなかったか

 タイトルにうたわれた「旧石器時代人」なるものは、実は、私たちが思うような形では本書に登場しない。
 どんな姿格好で、どんなふうに暮らしていたのか。復元図は一切ない。出てくるのは石器だけ、である。
 本書は、2000年秋に発覚した前期旧石器遺跡捏造(ねつぞう)事件から10年余り、事件を振り返りつつ、学問の原点に立ち返って研究の現状を語る。
 原点とはつまり、旧石器時代人は「私たちとは存在のあり方の異なるヒトビト」であり、現代人が理解できるという保証はどこにもない、ということだ。現代人の想像の産物である復元図は捨て、唯一の資料である石器の分析だけを手がかりに切り込んでいこうというのである。
 著者は、「神の手」による一連の発見に疑問を呈する論文を発表し、それが石器を埋める現場をとらえた毎日新聞のスクープにつながった。
 約60万年前の地層から出土したという石器を見せられ、「あまりのことに呆(あき)れてただ大声で笑った」という。まさに縄文時代のものだった。
 そんな捏造がなぜ、20年も見破られなかったのか。
 日本の旧石器研究は、石器を見る力が弱かったとする。旧石器研究の本場フランスで徹底的な修練を受けた著者によれば、石器の白黒は瞬時に判断でき、本来、研究者による解釈の違いが入り込む余地はないものなのだ。
 遠い祖先の姿は私たちの好奇心をかき立ててやまない。それゆえ研究のありようにも無関心ではいられない。
 石器研究とはどういう方法で何をめざす学問なのか、肝心のことが一般向けに説明されてこなかった、とあとがきにある。著者は編集者の求めに応じ、学問の全貌(ぜんぼう)を一般向けに示すために書いた、という。学問の中からの貴重な発信といっていい。
 そうした肝心のことが語られていないのは、おそらくこの分野に限らないだろう。
 評・辻篤子(本社論説委員)
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 講談社選書メチエ・1575円/たけおか・としき 50年生まれ。考古学者。『旧石器時代の型式学』ほか。

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