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ふかいことをおもしろく―創作の原点 [著]井上ひさし

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年05月22日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■井上文学の核心「笑いは外から」

 「ほかの子とは違う」とか「神童」「秀才」と呼ばれたが結局「凡人」だと思うようになったと言っても、蔵書20万冊、一日の読書量30冊は凡人とはいえまい。「本は人類がたどりついた最高の装置」だとは井上ひさしさんの弁。
 本書はそんな著者の駆け足自伝。持ち前の楽天的な性格から自らの人生の暗部を笑いとユーモアで押し切ってこられたようだ。「苦しみや悲しみ、恐怖や不安」は人間が生まれながらに持っているが、「笑い」は本来、人間存在の内側にはなく、外から与えられるものだからこそ必要、と井上文学の核心を述べる。
 さらに笑いは送り手と受け手の共同作業で、「笑いは人間の関係性の中で」言葉が作るものだと持論を展開。
 ——そうか、笑いは言葉が作るのか? ウーン、道路で人が転んだり、葬儀場の沈黙に緊張のあまり吹き出したり、動物のおかしなしぐさに思わず笑うが、そこには言葉が介在しないけどな……? あるいは天の一角から「ウワッハッハッハ」と黄金バットが降りてきたり(古いネ)、市川右太衛門の旗本退屈男が笑って人を斬ったり、片岡千恵蔵がニッコリ二丁拳銃をぶっ放し、水戸黄門がブラウン管の中で笑って〈終〉わる。彼らだって人間の関係性を無視して笑うんじゃないかなあ?
 人間の内側の心の表象はいわば煩悩である。そんな煩悩に笑いを送って運命の悲哀を忘れさせるのが井上文学であるとすれば、人間の煩悩は阿頼耶識(あらやしき)に蓄積されたカルマの種子だから一掃するに越したことはない。そういう意味では笑いは人間の内側に存在しないものかもしれない。
 笑いが刹那(せつな)の仮の避難場所だとしても、われわれの一切苦行の人生の中で笑いが悟性の代役を果たしてくれるならこれも救いといえまいか。
 「ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに……」
 評・横尾忠則(美術家)
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 PHP研究所・1155円/いのうえ・ひさし 1934〜2010。作家・劇作家。『吉里吉里人』など。

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