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敵国語ジャーナリズム―日米開戦とアメリカの日本語新聞 [著]水野剛也

[評者]上丸洋一(本社編集委員)

[掲載]2011年05月22日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■発行を継続させ戦争協力に利用

 1941年12月7日(米国時間)、日本軍がハワイ・真珠湾の米艦隊を奇襲し、米国と開戦した。このとき米本土では、西海岸を中心に20〜30の日本語新聞が日系人によって発行され、5万〜6万人が購読していた。米国人にとって日本語は「敵国語」であり、米国人のほとんどが理解できない言語でもあった。
 本書は、戦時下、米政府が「敵国語」で書かれた新聞をどう統制し、これに新聞がどう対応したかを検証。従来の研究の空白を埋める。
 開戦とほぼ同時に米連邦捜査局(FBI)は日本語紙の編集幹部を一斉に逮捕した。しかし、米政府には日本語紙の発行を全面的に禁止する考えはなかった。発行を継続させて戦争協力に利用しようとした。日系人社会の動向をうかがう情報源としても、日本語紙は有益だった。
 一方、生き残りを図る日本語紙は、日本の対外行動を肯定してきた従来の「親日」的な論調を、自発的に(実際には米政府の暗黙の強制のうちに)「親米」的な論調へと転換させた。そして、米政府が日系人に伝えたい情報を進んで記事にした。
 このように、米政府と日本語紙は、政府が圧倒的な優位に立ちながら、相互に依存する関係にあった、と著者は分析する。結局、西海岸の日本語紙は、日本人立ち退き政策によって、42年5月までにすべて停刊に追い込まれる。
 周知のように、満州事変以降、日本の新聞は、政府や軍の統制や指導を自発的に受け入れ、進んで国民の戦意高揚を図った。
 国情の全く異なる米国と日本において、新聞はともに政府の統制の枠内で行動した。そのことに新聞はほとんど疑問を持たなかった。
 ジャーナリズムは戦時、その独立をどう確保すればよいのか。それとも、それは元来、不可能なことなのか。
 そんな重い問いが、読後に浮かび上がってくる。
 評・上丸洋一(本社編集委員)
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 春風社・5460円/みずの・たけや 70年生まれ。東洋大学准教授。『日系アメリカ人強制収容とジャーナリズム』

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