書評・最新書評

瞬間を生きる哲学―〈今ここ〉に佇む技法 [著]古東哲明

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年05月29日

[ジャンル]人文

表紙画像


■時間を超える生、芸術創造もまた

 1960年代のヒッピームーブメントはすでに終息を迎えていたがバークレイにはまだその遺産の残り火がチカチカしていた70年代の初頭に、カリフォルニア大学内を仕事場に1カ月余りこの地に滞在したことがあった。その時会った一人の老ヒッピーのTシャツの胸に“BE HERE NOW”と書いてあった。
 “BE HERE NOW”(今ここに)という言葉はニューエイジ・ムーブメントのリーダーの一人ラム・ダスが書いた本の題名であることはすぐわかった。この言葉に出会った瞬間、人生の叡智(えいち)を探る根本原理を「これだ」と本能的に直感して以来〈今ここに〉を生きるための処世態度としてきた。
 「今ここに」はブッダも〈相応部教典〉の中で語っているが実感からほど遠かった。そこでこの言葉の深意を禅とインドに求めてニューエイジのボヘミアンの旅に立った。その過程で「常に現在に密着していること」(ゲーテ)、「瞬間を全身で楽しむ」(ニーチェ)、「今ここに、唯(た)だ生きる」(唯識)などの箴言(しんげん)に出会ってきたが、肉体から離れてしか存在していなかった。
 ところが画家に転向して10年以上たった時、「今ここに」は創造行為それ自体であることに気づいた。外に求めていた答えが内にあったのである。そして今、目の前に本書がある。〈今ここ〉に佇(たたず)む技法書である。
 キャンバスに向かった瞬間から無限の価値と永遠の時間の中で、行為自体が目的化し、自由と解放と快楽と遊びが魂に呼びかけ、「今ここに」を実感させる。そして「今ここに」の概念からさえも自由になる。絵画は、空間を創造すると同時に無限の時間の創造でもある。そしてこの瞬間の連続の体感の中に、この現実から分離したもうひとつの現実世界に到達して永遠を享受する。
 本書は「いまこの瞬間のなかにすべて《人生の意味、美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも》」存在することを明らかにしようとする。この瞬間は過去にも未来にも存在しない。たった「今ここに」しか存在しない。これが生きることの重要性であることを著者は全編を通して熱く語る。本書では芸術創造は「つまるところこの瞬間刹那(せつな)の豊麗さに撃たれること」であり、そして「瞬間を生きることは《時間を超えて生きる》こと」であると同時に時間体験であると指摘する。近代の時間は垂直に流れるが創造的時間は過去、未来ともに現在に同化することで瞬間の連鎖現象が起き、「陶酔と至高」に至る。
 巻末のエピローグではインドの貧民街の13歳の少女の到達した「瞬間」の境地を著者は美しく易しい文章で締めくくっている。
 〈評〉横尾忠則・美術家
     *
 筑摩選書・1680円/ことう・てつあき 50年生まれ。広島大学教授(哲学、現代思想)。著書に『〈在る〉ことの不思議』『現代思想としてのギリシア哲学』『ハイデガー=存在神秘の哲学』など。

関連記事

ページトップへ戻る