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アウトサイダー・アート―芸術のはじまる場所 [著]デイヴィド・マクラガン

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2011年05月29日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■認められて、消えたナマっぽさ

 いや、すごい時代になったもので、イギリスの著名な精神科病院のサイトを見ると、ルイス・ウェインの猫絵をはじめとする「アウトサイダーアート」の名作が容易に鑑賞できる。かつては、ふつうの美術とはまったく関係ない、「外縁(アウトサイド)」にいる人たちの知られざる制作品だったのだが。
 本書はまず、実作の数々をカラーで紹介し、衝撃を体験させる。作者は、児童わいせつで精神科病院に収容された男、お告げの声が聞こえる人、言語学習ができない者など。
 昔の医師たちは、彼らの作品を病歴や心理状況を知る手がかりとした。ところが、これに注目する人々が現れ、既存の美術概念を覆す「美術の本源」と評価する画家デュビュッフェが出て、「アール・ブリュット(生の芸術)」という美術運動にまで発展した。
 だが、このナイーブなアートが主流美術の腐敗を浄化できるのか。そもそも自己矛盾を孕(はら)んだジャンルかもしれないと本書は指摘する。
 外に置かれた美術が内に迎えられた瞬間、野生の獣が動物園に入れられるようにナマ(野生)を保てなくなるからだ。実際、この作家たちが自作品を他人に見られることを嫌い、自身を美術家とも思っていない点にこそ、価値はあった。既存美術の側でもモダンアートが貪欲(どんよく)に彼らの「ナマっぽさ」を吸収し、現在では市民が楽しむ「ちょっと変わったアート」という親しみさえ獲得してしまった。
 本書は、真正な芸術的創造とは何か、という問いを社会に突き付けた過去の意義を強調しつつ、最終的にはアウトサイダーアートが「公的な認可や後援を受けない」自立した表現作品というほどの、何とない褒め言葉でしかなくなるかもしれない、と述べる。「革命的とかアナーキーとかいう単語と同様に」という締め括(くく)りが、果たして楽しみ、消化すべきアートなのかと問いかける。
 評・荒俣宏(作家)
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 松田和也訳、青土社・2730円/David Maclagan 英国を拠点とする美術家でアートセラピスト。

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