書評・最新書評

ヴァレンタインズ [著]オラフ・オラフソン

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2011年06月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■人生の綻びの瞬間を端正に描く

 不思議すぎる。なぜ、こんなに透明感のある、端正な物語が書けるのだろう。書いてある中身は辛いことなのに。
 誰だって胸のなかに一つや二つ抱えている小さな秘密や不満が、ある日突然噴出し、塞がっていた過去の傷口が一気に開いてしまう。人生がどんどん綻(ほころ)び始め、気がつけば、平穏な生活はもう手の届かないところにある。そんな悪夢のようなできごとが、驚くほど静謐(せいひつ)な文章で描かれるのだ。
 本書は一年の十二の月をそれぞれタイトルに掲げながら、さまざまな男女の、綻びの瞬間を見事に描き出す。著者はアイスランド生まれでニューヨーク在住。英語でもアイスランド語でも創作し、国際ビジネスの世界でも大成功を収めた人らしい。
 その筆致はあくまでも繊細だ。しかも、緻密(ちみつ)な構成によって、決定的な瞬間が静かに準備されていく。たとえば「十月」の章では、カフェで待ち合わせながらなかなか話の本題に入ることのできない二人の男性が登場する。コーヒーを飲み、ビールやシュナップスを頼み、食べ物も注文し……。一方の男性は、自分のベッドの左上にある天窓のことをしきりに思い出している。天窓から見える、月のことを。作者は読者を焦(じ)らしつつ周到に伏線を引き、一つの言葉をきっかけに、突然物語を加速させる。なぜこの二人が、ぐずぐずとカフェに座り続けているのか。その後の展開も劇的だ。考え抜かれた「オチ」がついているだけではない。ストーリーの緩急のつけ方がすばらしく、テクストにずば抜けた音楽性を感じる。それぞれの季節にふさわしい風景や日の光、空気の肌触りも丁寧に描かれている。
 切なくて哀(かな)しいけれど、人生への洞察にはっとさせられる。外国を舞台にした話ではあるが、きっと自分に似た登場人物に出会うだろう。その人物の末路について、考えずにはいられなくなるはずだ。
 評・松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)
    *
 岩本正恵訳、白水社・2520円/Olaf Olafsson 62年生まれ。本作で2006年、アイスランド文学賞。

関連記事

ページトップへ戻る