書評・最新書評

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら [著]工藤美代子

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年06月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■現代の怪異、戸惑いつつ語り部に

 冒頭、「この世のルールを勝手に無視した妄想の世界」を語る「うさん臭い」人種に拒否反応する著者なのだが、本書を読み進めるうちに、ただの日常の一断片が彼女の妄想によって次第に立体化し始めると、そこに不思議な空気が漂い、独特のリアリティーが立ち上がってくる。
 ノンフィクション作家の著者は、いたるところで自分は「鈍感」で霊感がないと執拗(しつよう)に謙遜するが、一方では「自分は怪奇現象に遭遇しやすい体質ではないか」とも考えたりする。彼女は死者の放つ残存生体エネルギーの霊波をキャッチする能力を「火の玉を見た」子ども時代から持ち、ホテルの一室や街角ですでに死んだ人を見かけたりする。その時は〈オヤ、どうしてあの人が?〉と訝(いぶか)しむ程度なのだが、やがて彼らが霊であったことがわかるのだ。
 鏡台に人影が映ったり、死者が声をかけてきたり。ある時、夜中に笛の音を聞くのだが母親には聞こえない。その時、トイレに行った夫が口笛を吹いたので〈なーんだ、夫だったのか〉と一件落着、かと思いきや夫は口笛など吹かなかったのである。また生前、母に死後の様子を夢で知らせてほしいと約束するが、死んだ母から夢ではなく電話を通してノックがあり、親子の愛は死後も健在であった。——といった奇妙なことが著者には頻繁に起こる。
 この本の興味は、冒頭の拒否反応に反して彼女が次第に「ルールを無視した妄想の世界」にとまどいながらも嵌(はま)っていくところだろう。「そうした話はうさん臭い」らしいが、すると柳田国男の『遠野物語』だってそういうことになりかねない。うさん臭いかどうかは、この手の話の伝達表現の問題にあるのではないだろうか。本書は怪談文芸誌「幽」に連載したエッセーをまとめた。「霊と共存できる」偏見のない著者は、歴とした現代の怪異譚(たん)の語り部の一人ではないかと思わせる。
 評・横尾忠則(美術家)
   *
 メディアファクトリー・1365円/くどう・みよこ 50年生まれ。『工藤写真館の昭和』『夢の途上』など。

関連記事

ページトップへ戻る