書評・最新書評

この世の涯てまで、よろしく [著]フレドゥン・キアンプール

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年06月19日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■なぜ50年後に生き返ったのか

 50年前に死んだことを自覚した若者が2日前に突然蘇(よみがえ)ってカフェでコーヒーをすすっているこんな非現実的な現実からこの物語は始まる。
 本来なら彼は特定の人間にしか認識されない幽霊なのに彼の姿は万人の目に映り、そのうえ肉体を伴っているために生者と区別のつかない死者である。だけど彼を困惑させているのは死んだはずの自分がなぜ50年後の別の時代に生きているのかということだ。
 この疑問は読者も同じだ。一に彼はどこでどんな死に方をしたのだろう。二に彼はこの小説を終わらせるために、もう一度死ぬことになるはずだが、その時はどんな風に死ぬのだろうかという興味に読者の関心は絞られていく。
 最初はこの物語は現世そっくりの死後の世界に舞台を移しているのかと臆測したが、それはハズレだった。主人公の若者はかつてピアニストだったのでそのDNAの記憶がこの現世で音楽大学を彼の生活の場として運ばせたのかもしれない。そこへ彼と同時に死んだらしい友人が親和力によって合流する。彼らが本物の幽霊のように透明になるのは眠ると同時に覚醒するという幽体離脱の時だけというのもおかしな話だが、ただし別の蘇った死者の姿は認識できるらしい。とにかく起きている時も眠っている間も、24時間覚醒しているのである。
 やはり読者の一番の興味は前の生と今生の二つの死であるが、著者はかつての若者の死に至るまでの人生と今生をパラレルに構成しながら、まるで映画のように、時には絵画的に、そして音楽的にスペクタクルに展開させる。特に彼の前の生はナチが台頭するヨーロッパの悲劇的な時代が舞台で、そこに過去と現代の二つの時空を重層的に交差させながら生死をノスタルジックに蘇らせてくれる時、そこに芸術が動く。
 「神の存在が信じられなくなれば、人間に残されたものは芸術しかない」
 評・横尾忠則(美術家)
     *
 酒寄進一訳、東京創元社・2100円/Fredun Kianpour 73年生まれ。ドイツ在住でピアノの演奏ほか活動。

関連記事

ページトップへ戻る