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井筒俊彦―叡知の哲学 [著]若松英輔

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2011年06月19日

[ジャンル]人文

表紙画像

■思想界の巨人、「神」への対話

 井筒俊彦は世界的イスラーム学者として知られる。しかし、彼の射程は驚くほど広い。ギリシャ哲学、言語学、ロシア文学、神秘哲学、ユング心理学、老荘思想、仏教、インド哲学……。彼は30を超える言語を理解し、気になる本はすべて原書で読んだという。司馬遼太郎は、彼のことを「20人ぐらいの天才らが1人になっている」と評した。
 そんな思想界の巨人のことを、我々は思いのほか知らない。その壮大な思考の軌跡に、我々がまだ追いついていないのだ。本書は井筒の思想に挑み、その可能性を開闢(かいびゃく)する。
 一般に、井筒は孤立した思想家というイメージをもたれている。しかし、著者が徹底して描く井筒は、対話の人としての姿である。
 井筒の対話は、時間と空間を超えていた。そして、その出会いは、常に「事件」だった。なぜなら、それは思想が生成する瞬間だったからだ。
 大川周明、西田幾多郎、柳宗悦、吉満義彦、ジャック・デリダ、イブラヒム……。井筒は多くの人と出会った。時に実際に、時に書籍を通じて。その出会いは「コトバ」を通じて超越者へと接続した。彼の問いは常に「神」へとつながり、「コトバ」へと帰着した。著者曰(いわ)く、「『存在はコトバである』、この一節に井筒俊彦の哲学は収斂(しゅうれん)される」。
 井筒にとっての哲学とは、打ち消すことのできない「神」の体験に依拠していた。そして、その体験を実証する道こそ、彼の哲学そのものだった。
 井筒は、独創的な思想家が生まれる背後に「創造的『誤読』」の存在を見た。思想家の「読み」は時に強引で、不正確だ。しかし、その偶然的誤読こそが、意味の深みへと我々を導く。井筒は確信的に誤読を繰り返し、そこからオリジナルの哲学をつくりあげた。
 我々も「誤読」を恐れず、井筒と対峙(たいじ)すべき時を迎えているのではないか。本書は井筒再評価を促す快著である。
     ◇
 慶応義塾大学出版会・3570円/わかまつ・えいすけ 68年生まれ。批評家。井筒のエッセー集『読むと書く』編集。

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