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世界文学とは何か? [著]デイヴィッド・ダムロッシュ

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2011年06月26日

[ジャンル]人文 国際

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■正典でなく結節点、翻訳通して豊かに

 大きな問いである。世界文学と聞いて、すでに編まれた全集を思い浮かべる人も多いだろう。戦後しばらくはまだ、日本文学と対置される形で欧米の文学を中心にした世界文学全集が出版されていた。本書で「NATO文学」との揶揄(やゆ)も紹介されているが、もっぱら英仏露独の言語で書かれたテクストが文学的教養の正典を形作り、大学の外国語文学コースにもかろうじてそれらの言語が残っているのは、NATO以前の、帝国主義時代からの流れだといえよう。
 そんななか、今年完結した池澤夏樹個人選による世界文学全集が辺境や女性に目配りしたラインナップを示して評判を呼んだことは記憶に新しい。あの全集には日本語作家の作品も含まれていた。世界文学が常に日本の外にあるわけではない、のだ。
 それにしても、文学作品は無数に存在する。何からアプローチすればいいのだろう? 本書の著者は、新しい正典を定めようとはしない。むしろ、世界文学そのものが「一つの読みのモード」であり、時代や社会、読者によって自在に変わる可能性を持つことを示そうとする。世界文学は絶えず更新され、読者からの働きかけを受けつつ読者の「いま」にも働きかける、という考え方は柔軟で魅力的だ。そこには正典ではなく、カフカのテクストのようにさまざまな議論の結節点となる作品が存在する。読者はまず、自分の足がかりとなる結節点を見いだし、そこから読書の幅を拡(ひろ)げていけばいいのだ。
 世界文学は翻訳によって読者とつながっている。本書では作品を転生させる翻訳の功罪にも紙数が割かれている。翻訳がテクストを変身させ、さらに流通が加工を施していく。たとえばゲーテの秘書だったエッカーマンの記した『ゲーテとの対話』が、中身はそのままゲーテ著『エッカーマンとの対話』という本に変えられてしまったり。もしくは、グアテマラの先住民がおかれた状況を世界に知らしめたリゴベルタ・メンチュウの著書と、その英語版がかなり違っていたり。さまざまな形で受容先の社会への「同化」を目指す翻訳は、明治以降の日本でも珍しくなかったはずだ。ただ、ダムロッシュは必ずしも同化翻訳を否定しない。自身は比較文学者として多言語に精通し、原書に当たりつつ翻訳を検証してみせながら「世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である」というテーゼを掲げる彼は、多くの作品がまさに翻訳のおかげで後世に残ったと考えている。
 教養としての世界文学から、「いま」を示す指標としての世界文学へ。ダイナミックな「読み」の磁場に、まずは飛び込んでみたい。
 〈評〉松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)
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 秋草俊一郎ほか訳、国書刊行会・5880円/David Damrosch コロンビア大学教授を経てハーバード大学教授。元アメリカ比較文学会会長。世界文学に関する多くの著書がある。

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