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ゴーレムの生命論 [著]金森修

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2010年12月05日

[ジャンル]科学・生物 新書

表紙画像

■人工生命体、なぜ「怪物」化される

 歌人・西行が死体の骨の片々を集めて「人」を造った、という話が中世の説話集『撰集抄(せんじゅうしょう)』にある。しかし、秘法を駆使して造った「人」は風流を解さず、言語を持たない「もの」として誕生した。困惑した西行は、それを高野山の奥に放置したまま都に帰ってしまうのである。
 もちろん事実ではない。しかしこの説話には、本書で扱われているゴーレムという人造人間をめぐる問題と重なり合う要素が見られる。それは、人間が人工生命体を造ることにかかわって否応(いやおう)なく発生する諸問題だ。
 ゴーレムとは、ユダヤ教の秘法を究めた者が土から造り出すことのできる人工生命体である。しかし、ゴーレムは言語行為をもとから欠いており、また、「魂」がないとされている。この二つの特徴は前述の西行の造った「人」と似ており、人工生命体と人間との間に横たわる大きな差異として描かれている。
 人工生命体はこのように「人間未満」の存在として「怪物」化されてゆくが、それは、人が自然に反して生命を創造することへの警告を表す、と著者は言う。たしかに、聖書の人類創造になじみのない者でも、人為的な生命の発生には、驚嘆とともに一種のおののきを感じることがあるだろう。たとえばクローン生命体の創造や、人間の胚(はい)性幹細胞であるES細胞を使用する実験に対する倫理的な批判は今でも存在する通りである。
 そして、創造した生命体に「魂」があるのか、という議論もある。ゴーレムは最後に土に還(かえ)るが、外見が人間そっくりの「もの」の生死を人が決定してよいのか。著者はこうした問いに明確な答えを出すことはしないが、ゴーレムに代表されるものたちの問題系を、ホフマンの「砂男」から映画「エイリアン4」に至る豊富な例を取り上げることで提示しようとする。
 もとより評者も諸問題に答えを出せるものではないが、著者のやや迂遠(うえん)に見える論述のなかには、これからなされるべき議論の素(もと)がちりばめられており、読者に思考を迫るものとなっていると感じた。生命の神秘に関心ある方は一読されたい。
 評・田中貴子(甲南大学教授・日本文学)
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 平凡社新書・777円/かなもり・おさむ 54年生まれ。東京大学教授(フランス哲学、科学思想史など)。

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