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偶然とは何か―その積極的意味 [著]竹内啓/確率論と私 [著]伊藤清

[評者]辻篤子(本社論説委員)

[掲載]2010年11月21日

[ジャンル]科学・生物 ノンフィクション・評伝 新書

表紙画像

■結果としての運、世界の法則性は

 天の導きか、と思わせるような出会いがあれば、不幸というしかない、行き違いや事故もある。私たちはあまたの偶然とともに、笑ったり泣いたりして生きている。
 そんな偶然に、私たちは黙って身を任せるしかないのか。
 『偶然とは何か』は、これに対し「否」とする。だが、事前に確率を計算して合理的に行動することで避けよう、というわけではない。避けられないという前提で、副題にあるように、偶然というものの積極的な意味をとらえ直し、向き合い方を考えよう、というのである。
 サイコロを振る。最初にどの目が出るかは全くの偶然だ。しかし、何度も振るうちに、どの目も6分の1ずつ出るようになる。いわゆる「大数の法則」が支配する世界だ。
 これとは異なり、度重なることで新たな可能性が生まれるタイプの偶然があるという。
 その代表例が生物だ。突然変異という偶然が、自然選択というふるいにかけられながら蓄積することで新しい種が生まれる。生物の多様な種は「偶然の必然的な産物」なのだ。
 人にとっても、偶然との出合いはそれぞれの人生を独特なものにする意味がある。偶然は「世界を作り出す本質的な要素」と考えるべきであり、その結果としての運不運を他人と分かち合おう、というのが著者の主張である。つまり、不運の結果を、不運を免れた人や社会の責任で軽減する。それが、偶然の専制を和らげることにもなる。
 偶然というものの性格を理解することが重要なのは、大数の法則に従って「飼いならす」ことのできない種類の偶然がますます重要になってきているからでもある。
 たとえば、偶然の変動が互いに強め合い、ダイナミックな動きを引き起こす金融市場。結局、破綻(はたん)に至ったが、偶然の影響を制御するために生まれたのが金融工学だ。
 そのもとになった「伊藤理論」で世界的に知られ、2008年に亡くなった著者の初のエッセー集が『確率論と私』である。偶然に満ちた世界に潜む論理性に魅せられた数学者としての人生を振り返る。
 1940年代に発表した理論が金融の世界で必須になったと97年に知り、喜びより大きな不安にとらえられた、という。普通預金のみの「非金融国民」という著者は、数学者の卵が経済戦争の兵士になっているとして嘆き、あらゆる戦争に反対する立場から、有為の若者たちを故郷の数学教室に返していただきたい、とユーモアを交えて語っている。
 門外漢にも読みやすいのは、理論を究める著者の目が常に現実とのかかわりに注がれているからだろう。
 数理統計と確率論、2人の碩学(せきがく)が語る世界は本来、深いつながりがあるが、日本ではなぜか、距離があるらしいこともわかる。
 両書を案内役に二つの世界をそぞろ歩き、私たちの人生の一部である「偶然」に思いをめぐらす。なんとぜいたくなことだろう。
 〈評〉辻篤子(本社論説委員)
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 『偶然とは何か』岩波新書・756円/たけうち・けい 33年生まれ。東京大学名誉教授(統計学・経済学など)。『確率論と私』岩波書店・1785円/いとう・きよし 1915〜2008年。数学者。京都大学教授など歴任。

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