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自動車と移動の社会学―オートモビリティーズ [編著]M・フェザーストン、N・スリフト、J・アーリ

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2010年11月21日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■人と車、「一体」となる未来図
 
 自動車はいかに後期近代社会の生活を変えてきたか。いかに技術と産業を牽引(けんいん)してきたか。いかに化石燃料の浪費を加速し、いかに道路の渋滞や事故で都市環境を変化させてきたか。自動車をめぐるそうした凡百の言説を、本書は自動車移動(オートモビリティ)という新しい視座から読み替えてみせる。それは、自動車にかかわるすべてのもの、工場生産や機械の性能はもちろん、運転する身体から道路の設計、交通法規、自動車をめぐるイメージや記号まで、あらゆるものを包含して、私たちの時間—空間を非線形のオートポイエーシスのシステムとして捉(とら)え直すことを可能にする。
 そこでは、自動車はもはやたんなる欲望の表象ではない。人間工学を駆使して設計された自動車は人間の身体を拡張して鉄の皮膚になる一方、人間は運転に習熟することで「運転する身体」という新たな主体性をもつ。自動車を身体化し、自動車に身体化される、この運転者—自動車という集合体のハイブリッド性は、電子制御のソフトウェアによってさらに加速される。たとえば路面の状況や速度などを、運転者が車体や計器を通して知るとき、自動車はいわば人間が外部世界を参照する物差しとなっているし、さまざまな運転補助装置がついた自動車は、いまや人間の指示で人間の行動を決定する代理体なのだ。
 こうした運転者—自動車の融合の習慣化は、メルロ=ポンティが指摘したとおり、私たちの実存を変容させる。自動車移動の時間と空間が、私たちの身体に移植される、と言い換えてもよい。かくして、いまや自動車が風景を通過するのではない。風景は、そこを通過する運転者—自動車の数だけ経験され、生きられ、次々に移り変わってゆく多様な差異として、刻々と風景になってゆくのである。
 喧騒(けんそう)に満ちた都市空間を、個別の意味を奪われた非—場所として捉えた二十世紀は過ぎ去った。自動車移動に浸透された私たちは自動車を体感し、自動車を通じて世界と相互作用する。人間の未来を垣間見るような、社会学の最前線である。
 評・高村薫(作家)
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 近森高明訳、法政大学出版局・6195円/M Featherstone, N Thrift, J Urry

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