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昭和の創作「伊賀観世系譜」―梅原猛の挑発に応えて [著]表章

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2010年11月07日

[ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能

表紙画像

■批判のための批判、超越した遺作

 不世出の能役者にして能作者の世阿弥については知っているが、その父である観阿弥のことを問われて即答できる人は能楽ファン以外には多くない。観阿弥の出身地はどこ?という質問に明確な答えを返せる人は更に少なかろう。
 いや、小説家や評論家が伊賀の国出身だと書いている、という反論が予想される。最近では、梅原猛氏が『うつぼ舟2 観阿弥と正成』(角川学芸出版)で主張しているではないか、と。
 能楽研究の歴史のなかでは、かつて観阿弥の出身地が伊賀の国か、それとも大和の国かという論争があった。本書の著者は、それまで通説だった伊賀説を否定し大和説を掲げた一人である。しかし、伊賀説には証拠となった「伊賀観世系譜」と総称される一群の資料があり、梅原近著はその資料を全面的に肯定しつつ伊賀説を復活させ、大和説を是とする著者に対決を挑んだのである。
 本書は、能楽研究のパイオニアである著者が、副題のごとく梅原氏の「挑発」に真摯(しんし)に答え、「伊賀観世系譜」(以下、「系譜」と略称)の詳細な分析を通じて伊賀説を再否定し、「系譜」に記された世阿弥と南朝の忠臣・楠木正成との縁戚(えんせき)関係も「創作」だということを明確に論証した労作である。
 このように紹介すると、いかにも学究的でカタイ本だと思われようし、学者の内輪の論争にすぎないといわれるかもしれない。しかし、本書は梅原批判に端を発してはいるが、読み進めるうちに、「系譜」が昭和の能楽研究のエッセンスに基づいて作られた、非常に興味深い資料であることがミステリーのように解き明かされてゆくのだ。
 注意すべきは「偽作」だから無価値とするのではなく、「系譜」に能楽史の観点から新たな価値を見いだした点である。批判のための批判を超越し、資料を活(い)かす道を拓(ひら)いたのは著者の力量によるものだろう。両書を読みくらべることもお薦めだ。
 残念ながら、著者は本書刊行を待たずして急逝された。まさに、学者の命をかけた梅原氏への「返答」だったのである。
 評・田中貴子(甲南大学教授・日本文学)
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 ぺりかん社・2940円/おもて・あきら 1927〜2010年。元法政大学教授・同大能楽研究所長。

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