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抱影 [著]北方謙三 

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2010年11月07日

[ジャンル]歴史 文芸

表紙画像

■目がくらむほどのハードボイルド

 北方、14年ぶりの書き下ろしは、これまでと一味違うハードボイルドもの。
 主人公の硲(はざま)冬樹は、横浜でいくつかの酒場を経営する、中年男だ。毎晩のように、自転車で店を巡回し、したたかに飲む。その一方で、画家として特異な才能を発揮し、内外に名を知られた存在でもある。そうした、ある種の恵まれた中年男の日常生活が、淡々とつづられる。そこには、若き日の北方の創作志向を示す、独特の匂(にお)いが立ちのぼる。が、〈日常性〉を飽かずに読ませるパワーは、とうに純文学の域を超えてしまった。
 硲を親父(おやじ)と呼ぶ若者がもめ事を持ち込んだり、硲が画家志望の娘に破瓜(はか)の儀式を施したり、といったエピソードが盛り込まれる。また、硲には古い付き合いの響子という人妻がいる。親密ではあるが、食事をともにするだけの純愛関係にとどまる。硲の生涯の願望は、響子への愛を絵に描き写したいという一点に尽きる。その思いは、癌(がん)で余命いくばくもないと響子に告げられたとき、彼女の体をキャンバスに、全身全霊をこめて刺青を彫ることで実現される。
 例によって、北方の文体はよけいな説明をせず、ときに読者をとまどわせるほど、簡潔を極める。それと反比例して、描かれる世界は目がくらむほど、豊かに広がる。北方が硲に、自己の姿を投影していることは、明らかだ。自由気ままな硲が、画家として永遠なるものを求める過程は、北方の作家としての生き方に、そのまま重なるだろう。「私は、通俗的でありたかった。通俗の中にこそ、普遍性がある、と思いたかった」という硲の独白は、北方自身の真情の吐露、とも受け取れる。また、「絵は、ボトルであろうが風景であろうが、モチーフを通して自分を描くことだ」という台詞(せりふ)も、容易に絵を小説に置き換えることができよう。
 この作品は一人称小説だが、最後にきて読者は「おや?」と思うかもしれない。しかし、硲が生き延びたか死んだかは、どうでもいいことだろう。
 北方は、主人公と同時に読者をも、突き放したのだ。
 評・逢坂剛(作家)
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 講談社・1680円/きたかた・けんぞう 47年生まれ。『弔鐘はるかなり』『渇きの街』『水滸伝』シリーズなど。

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