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父を焼く―上野英信と筑豊 [著]上野朱 

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2010年10月31日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■人とまじわり酒酌み交わして

 近年、若い研究者の間で雑誌「サークル村」への関心が高まっている。
 この雑誌の創刊は1958年。谷川雁、森崎和江、上野英信らが編集委員に名を連ねた。
 福岡県中間市を拠点に刊行された「サークル村」は、九州全域から山口県にかけての労働者を「表現」によってつなげた。坑夫、金属工、教員、郵便局員、女工……。多様な労働者が内なる声をつむぎ、その言葉の連鎖が「抵抗の連帯」を生んでいった。
 著者は上野英信の長男。現在は福岡県宗像市で古書店を営む。
 本書は、短文を集めたエッセイ集。著者は父の思い出とともに、筑豊の風景と人を温かいタッチで描く。
 英信は64年の早春、家族とともに筑豊炭田の片隅の廃坑集落に移り住んだ。彼は崩れかけの炭鉱長屋一棟と共同便所を買い取り、「筑豊文庫」と名づけて開放した。彼は、「筑豊文庫」を地域の公民館兼図書館とし、労働者の文化センターにすべく活動をスタートさせた。著者は、この建物で父の執筆活動や多くの来客を見て育つ。
 「筑豊文庫」は、労働者だけでなく、学生運動の活動家、駆け出しの物書きたちの居場所となった。ここに居ついた一人が報道写真家の岡村昭彦。彼は、「筑豊文庫」で寝泊まりしながら名作『南ヴェトナム戦争従軍記』を書いた。
 英信にとって「人と会うということは酒を飲むということと同義語」だった。炭鉱の製図台をテーブルに多くの人が英信と酒を酌み交わし、時に涙をこぼした。その「机」は、今でも著者の自宅で使われているという。
 英信は87年に64年の生涯を閉じた。その約10年後、「筑豊文庫」は老朽化のため取り壊された。今はその面影もない。
 チリの鉱山事故では、坑夫の危険な労働環境に目が向けられず、救出劇ばかりが「美談」として語られる。過酷な坑夫の生を描き続けた英信の作品は、もう一度、読み返されてしかるべきだ。
 本書が上野英信再評価のきっかけになってほしい。
 評・中島岳志(北海道大学准教授・アジア政治)
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 岩波書店・2310円/うえの・あかし 56年生まれ。古書店経営。『蕨(わらび)の家 上野英信と晴子』。

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