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我的日本語 [著]リービ英雄 

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年10月24日

[ジャンル]文芸 人文

表紙画像

■「言葉の杖」は一本ではない

 人は誰しも言葉の杖(つえ)を掴(つか)んで生きる——韓国系芥川賞作家の故・李良枝(イヤンジ)はそう書いた。母(国)語と使用言語の間に全く分裂がないことは、世界的に見ればむしろ希有(けう)なことなのだ。
 日本は人種、民族、文化、言語が長いことほぼイコールで結ばれてきたが、その書き文字は成立過程で分裂を経験している。漢字という外来語を土台に、そこから作られたカタカナ、大和言葉を表すひらがなの共在。リービ英雄は自伝的日本語論である本書で、「日本語を書く緊張感とは……日本語の文字の歴史に否応(いやおう)なしに参加」することであり、そこに惹(ひ)かれて日本語に深く入りこんだと述べている。人麿も初めは「『翻訳』しているような気持ち」だったのではないか。書き文字の誕生に際して生じた「ズレの記憶」に彼は共感を覚えるという。
 ところが日本人には、よそ者はこの「言霊」に同化できないとする考えが根強く、アメリカ人の著者が日本語で書くと当初は嫌な顔をされた。求められたのは日本文学にノーベル賞をもたらす英訳者だったのだ。
 カナダのさる批評家によれば、作家は助産婦であり、作家を通して文学史が滲(にじ)みでる。では、米国を襲った9・11テロは、リービ英雄を通してどのように滲みでたか? その体験が小説として形をとる時、触媒となったのは松島を詠んだ芭蕉の俳句だった。また、中国の仮水(偽の水)で腹を壊せば、「仮」は中国では主に「ニセ」を意味するが、今の日本では「一時的」の意味が強くなるという差異に思いを致す。万葉以来、日本語がうっすらと有してきた「言葉の二重の謎」を体感し、小説『仮の水』が生まれたという。
 ナボコフ、ラシュディ、クンデラ。これまでの越境文学は、多くが政治的、歴史的、経済的な「副作用」だった。だが母語と異言語に関して「人間はそんなに単純なものではない」と多和田葉子の言葉が引かれる。自分が自分であるための言葉の杖は一つではない。母(国)語とも限らない。日本語「で」ではなく、日本語「を」生きてきた人の確かな足跡がここにある。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 筑摩書房・1575円 りーび・ひでお 50年生まれ。米国人の日本語作家。『千々にくだけて』で大佛賞。

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