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ベッドルームで群論を―数学的思考の愉しみ方 [著]ブライアン・ヘイズ

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2010年10月17日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■暮らしの中の数学、夜ながの友に
 
 日常生活から宇宙まで、数に変換できるものは何でも変換して数え上げ、アルゴリズムを探し、ランダムなものさえ操り、利用する。人間は古来そういう生きものらしいが、科学雑誌の編集者である著者も、見事にそんな日常生活を送っている。
 たとえば眠れぬ夜に、著者を含めた欧米人は、ベッドのマットレスの凹(へこ)みを均(なら)すために定期的にこれをひっくり返す方法をついつい考え始めるものらしいが、その人に群論の素養があれば〈マットレスを対象として、これを対称変換させる〉と考えるのはわけもないだろう。すると、長方形のマットレスの操作は(1)そのまま(2)長軸方向へ回転(3)短軸方向へ回転(4)水平に180度回転の4種類があるので、クライン4群と呼ばれる群が出来上がる。これは車のタイヤ4本を水平面で順送りにしてゆく巡回4群に比べると、(1)〜(4)の操作をいくつか組み合わさなければ四つの状態すべてをつくりだせない複雑さをもつ。マットレスを正しくひっくり返すのは難題なのだ。
 さて、群論から暗号理論へ、暗号理論からアルゴリズムへ、アルゴリズムから「NP完全」の整数の二分割問題へ、あるいは素因数分解から歯車の歯数の組み合わせへと、著者の思考は次々にめぐってゆく。が、この著者がチャーミングなのは、学者が暮らしのなかの数学を語るのではなく、一般人が自分の暮らしを数理的に捉(とら)えようとして、ときに自分で考え込んでしまうところにある。人間の経済活動や戦争の数理モデルの限界。優れた特徴をもつのに一般に普及しなかった3進法への偏愛。はたまた、アミノ酸の構造を決めるATGCの四つのヌクレオチド基の並び方について、パターンをつくらなかった自然界より、かつてガモフらが考えた遺伝暗号のほうがずっとエレガントだという告白。またさらに、宇宙に無作為が存在するとしても、せいぜい量子の振る舞いの不確かさとしてのそれだという呟(つぶや)き、などなど。ガロワなんて知らなくても、数学好きおじさんの洒落(しゃれ)た数学談義で、あっと言う間に夜がふける。
 評・高村薫(作家)
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 冨永星訳、みすず書房・3150円/Brian Hayes American Scientistの上級ライター、コラムニスト。

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