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随想 [著]蓮實重彦 

[評者]四ノ原恒憲(朝日新聞記者)

[掲載]2010年10月10日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■思索と批評、そこはかとなく平明に

 「随想」。新奇さで目を引く本のタイトルが目立つ昨今の出版界で、何というシンプルさ。広辞苑によると「おもいつくまま。おりにふれたこと。また、それを書きとめた文章」とある。言い換えれば、徒然草の序にある「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば」だろう。
 言うは易し。だが、人に読まれることを前提だとすると、事は簡単ではない。まして、本書は、もともと長文、読み切りの文芸誌連載。単なる思い出や得意分野の知識の披瀝(ひれき)では、読者もすぐ投げ出す。
 そんな難関を、著者は、するりと乗り越える。映画や文学が中心テーマではあるが、概(おおむ)ね自らの体験を手がかりに、一回の文章の中でも、いくつもの話題が連関し、変化していく過程で、毎回、読む者を異なる世界に誘い込んでいく。
 例えば、妻と中秋の名月を見た体験が、戦前の幼少時、親類の女性と駅のプラットホームで十三夜の月を見上げ、また玄関脇に待機していた何台もの人力車を見た記憶を甦(よみがえ)らせ、樋口一葉の小説「十三夜」につながる。ある国際シンポジウムでの講演、自らの映画や大学での一葉との出会い、様々な一葉論への言及の中で、幼少時の記憶と断続的に響かせあいながら、歴史的な「近代小説」として一葉の作品を浮かび上がらせる。
 ゆったりと語られる文章は、思索の道筋の痕跡をそこここに残しながらも、平明で、時にユーモアもにじむ。
 しかも、村上春樹のノーベル文学賞騒動、オバマ大統領の演説、小津安二郎の映画、国民読書年……。様々な話題を中心にすえた15編は、どこかまた連関するという凝った作りになっている。
 思索の世界にのみ、身を潜めているわけではない。全体として「はしたなさ」にみちた現代への批評でもある。
 著者の文体は、かつて仕掛けと逆説に満ち、“晦渋(かいじゅう)”とも評されたこともある。そんな記憶と、あまりにシンプルなタイトルから躊躇(ちゅうちょ)する読者がいれば、ご一考あれ。
 (評・四ノ原恒憲 本社編集委員)
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 新潮社・2310円/はすみ・しげひこ 36年生まれ。元東大学長、仏文学者、評論家。『「赤」の誘惑』ほか。

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