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原稿零枚日記 [著]小川洋子 

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年09月26日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■日常するりと異界にする魔術師

 なんと胸に突き刺さる題名か。他人の小説のあらすじをまとめる達人にして自分の原稿は遅々として進まない小説家の、日常を綴(つづ)った日記体小説だ。作家が急に書けなくなったり、書けない自分について書いたりするのを、メルヴィルの小説に因(ちな)み「バートルビー症候群」と呼ぶそうだが、ここにかくも美しく哀(かな)しいこの病の記録がある。
 この作家は日々原稿を書こうとしては妙な事態に陥る。苔(こけ)料理店に迷いこみ、祖母の右肘(ひじ)に住んでいた2人の老女を思いだし、盆栽フェスティバルに行けば同行者が縮む。独り老母の介護をする彼女は、いるはずのない自分の赤ん坊をあちこちに見る。昔井戸に突き落とした子が甦(よみがえ)る。自分が赤ん坊になる。
 人に読まれないものという設定で人に読ませるものを書く日記文学の矛盾。その虚実の鬩(せめ)ぎ合いから多くの刺激的な作品が生まれてきたが、本日記の書き手もまた、限りなく小川洋子らしくもあり微妙に違うようでもある。しかしすべては、少なくともこの書き手が見た現実、「真実」なのである。
 小川文学の中で日常はなぜこうもするりと異界に変じるのか。忘れ難いのは、作者の『妊娠カレンダー』の後書きにある「台所の床板をはぐってみたら猫が死んでいた」という出来事だ。実は腐った玉ねぎだったが、新鮮な玉ねぎ(自分の体験)が人知れず床下で腐って猫の死骸(しがい)になるところに初めて小説の真実が存在する、と氏は言う。そうして小説を「見つける」のだと。
 本書でも、幻の有名作家に出逢(であ)う章では、急に小説が書けるようになり、「私はただ見えているものをそのまま書けばいい」という境地に達する。あらすじも「書く」というより、小説に潜む小石を見つけて投げ、底から湧(わ)き上がる模様を写し取ればいいと言う。そう、小川洋子はただ見るのだ。但(ただ)しこの魔術師に見られると、それだけで物事は変貌(へんぼう)してしまう。
 作者の目に発見されたもう一つの本当の世界。書くという営みの孤独の奥で、そのひんやりとした深い海の底で、小川洋子の澄んだ双眸(そうぼう)が光っている。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 集英社・1365円/おがわ・ようこ 62年生まれ。作家。『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』ほか。

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