書評・最新書評

〈動物のいのち〉と哲学 [著]C・ダイアモンド、S・カヴェルほか

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2010年09月19日

[ジャンル]人文

表紙画像

■殺される姿、問われる人間の基盤

 七〇年代に動物の権利擁護を求める過激な動物保護の思想が登場して以来、クジラやイルカの保護は世界の潮流になったが、食肉産業や実験動物の売買が消えたわけではない。菜食主義者が革靴を履き、ペットを愛する人間が競走馬を潰(つぶ)した馬肉を食べたりもする。イルカの知能の高さを保護の理由に挙げる人が、事故や疾病で知能が失われた人間を保護しないでいいということもない。
 動物の扱いについて、人間はこのように錯綜(さくそう)しているのだが、とまれ欧米では今日まで、動物とは何であるかを規定し、動物をどう扱うべきかについて多くの議論が重ねられてきた。それらはおおむね権利論や生命倫理の側面からの言語ゲームに終始し、懐疑に懐疑で応えるがごとき不毛さではあるのだが、一方で、哲学や文学からのアプローチがこの問題に与えてきた深みには驚くべきものがある。なにしろ、動物の扱いをめぐる問いが、哲学や倫理の限界へと接近してゆくのだから。
 本書は、南アフリカのノーベル賞作家クッツェーによるプリンストン大学での記念講義——架空の小説家の講義に対して架空の学者たちが論評するという構造をもち、後に『動物のいのち』としてまとめられた——をめぐる、アメリカとカナダの哲学教授たちによる論文集である。『動物のいのち』自体がそうであるように、問われるのは個々の動物の扱いや動物保護の是非ではない。俎上(そじょう)に上っているのは、殺戮(さつりく)される動物を眺めながら、突然自分が見ているものを言葉で言い当てることができない自分を発見する人間である。そのとき、この世界にむき出しで晒(さら)されながら、自分が動物と同じ脆(もろ)い肉体をもつことを認めて傷つき、そんな認識に至る自分にさらに傷つく人間である。人間が動物に対している行為を眺めながら、生ける動物である自分を発見してうろたえ、人間であることの基盤が試練にさらされている、その瞬間をも凝視せざるを得ない人間である。こうした人間の現実から逸(そ)れていない哲学はないと言ったのは、シモーヌ・ヴェイユだ。
 評・高村薫(作家)
   *
 C・ダイアモンド、S・カヴェル、J・マクダウェル、I・ハッキング、C・ウルフ著 中川雄一訳、春秋社・2940円/Stanley Cavell ハーバード大名誉教授。『哲学の〈声〉』

関連記事

ページトップへ戻る