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尼僧とキューピッドの弓 [著]多和田葉子 

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年09月12日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■仕掛けに満ち、キュートさ全開

 多和田葉子の小説のなかへ、私は迷子になりにいく。ことばに翻弄(ほんろう)されて方角を見失い、奇妙なものたちに次々と出逢(であ)って、気づいた時には森のはずれにぽんと放りだされている。そんな読後感がある。もちろんそれは不快どころか、とても愉快な体験だ。
 本書もそんなテイストが満載である。但(ただ)しいつになくストーリーラインが明確で読みやすいことは強調しておこう。第一部は、ドイツの小さな町の尼僧修道院へ「取材」で訪れたドイツ在住の日本人作家(作者の分身と覚しき)の目で、築千年余りの修道院(クロースター)の様子や住人たちの生活が描かれる。一般的なイメージとは裏腹に、ここは、離婚や退職をして肩の荷をおろした女たちが、かしましく第二の人生を送る人間臭いコミュニティーだ。女同士の駆け引きあり、思惑あり。弓道を嗜(たしな)む尼僧院長の不在理由には皆口を閉ざすが、どうも禁断のロマンスの香りがする。しかし隣には常に死があるのだ。そもそも西洋では、心臓を矢で射られる恋とは死の暗示でもある。さらに、建物の死、文化の死、歴史の死……。生きながら死人のように描かれた元住人の肖像画が目をひく。
 そしてここはまた、「多和田語」で見事に造りこまれた仕掛け屋敷でもある。語り手がそっと「尼僧(ノンネ)」と口にすると、急に「中世への秘密の抜け道」が開け、九州をドイツ語で「南日本」と表すると、俄(にわか)に「橙(だいだい)色の異国情緒」が漂う。想像の中に「フェトフェトに脂ぎった」豚肉(フェットは独語で「脂っこい」)が現れ、緊張すると語り手は「シャチコチした」喋(しゃべ)り方になる。
 第二部では一種の「謎解き」が行われるが、これも作者にしては珍しい。尼僧院長の恋の顛末(てんまつ)は? 第一部において、作者はドイツ語のルビや造語を駆使して、生と死の隣接する修道院を常にダブルミーニングで描きだしたが、そうした文章上の仕掛けがない第二部は、しかし「本」というものがいつも何かのアナザー・バージョン(別版)であることをさらりと物語るのだ。多和田ワールドのキュートさ全開の一冊である。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 講談社・1680円/たわだ・ようこ 60年生まれ。ドイツ在住。作家。『容疑者の夜行列車』ほか。

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