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ひそやかな花園 [著]角田光代 

[評者]平松洋子(エッセイスト)

[掲載]2010年09月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■生の全肯定、あまねく降り注いで

 開けたいのに、押せない扉。すくんで昇れない階段。誰のこころのなかにも、ひっそりとなりを潜める暗闇の入りぐちがある。見えないふりをしていても、いっぽう、暗闇は増長して光を塞(ふさ)いでしまうこともある。もしそうなったら、いよいよ扉に指をかけるほかない。身が震えても、自分自身で。
 「花園」はそのような暗闇の化身でもあろうか。数奇な運命をもつ七人の男女が隘路(あいろ)に嵌(はま)りながら希求する「花園」の場所は、父や母、家族の記憶をともなってこころの最深部にある。
 『八日目の蝉(せみ)』『森に眠る魚』を経て、家族をテーマに据えた角田光代の小説世界は、いっそうの確かさをみせて圧倒的だ。社会性のある事件や題材を扱い、言葉で血肉を与えながら現代に寄り添う。そのうえで、こころの闇も光も入念に照らしだして世界を提示するさまに、角田文学の本流をみる思いがする。
 七人の男女はかつて夏の数年間、ともに別荘に集って過ごしたこどもたち。しかし一九九〇年、親たちによって例年の習慣は突然断たれてしまう。別天地での甘やかな記憶を共有したまま七人は引き離され、おのおのの家庭の状況を背負って成長していく。そして考えはじめる。あの夏の日々、「花園」に隠された秘密はなんだったのか、と。 「家族とはなにか」。問いをたずさえ、絆(きずな)を手繰って再会を果たす七人の行動と複雑な心理が、七つの視点、三人称の手法で描きだされる。胸を打つのは、自己との邂逅(かいこう)を果たしてゆく七人の関係だけではない。わたしが衝撃を受けたのは、小説世界が展開するにつれ、角田光代じしんが言葉によって聖なる力を手もとに引き寄せる、そのすがたである。言葉を信じてあらたな扉を開き、言葉を手だてに根源に迫り、言葉とともに聖地へと書きすすむ、そのつよいリアリティー。
 人間は存在しているだけで、すでに世界に祝福されている。たとえ家族でなくても、家族として結び合える——生の全肯定ともいうべき聖なる光を、角田光代は「花園」にあまねく注いでみせた。
 評・平松洋子(エッセイスト)
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 毎日新聞社・1575円/かくた・みつよ 67年生まれ。作家。『三月の招待状』『森に眠る魚』など。

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