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メイスン&ディクスン〈上・下〉 [著]トマス・ピンチョン

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2010年09月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■無数の細部が集積、異様な重力を放つ

 評者は本書を読むのに一夏かかった。もちろんその間、他の活動を一切しなかったわけではないし、これ以外の本を一冊も読まなかったのではない。だが、今年の異様に暑い夏、どこへ行くにもこの大部の書物が傍らにあって、その放つ重力場に引き寄せられていたのは間違いない。
 実際、本書は巨大な恒星のごとき重力を持つのだけれど、その重力の因(よ)ってくるところは、新大陸の英国植民地を測量する任務を負った、メイスンとディクスンなる18世紀半ばに実在した人物の、英国から南アフリカを経て北米大陸に至る旅の物語の器に詰め込まれた、奇想、奇譚(きたん)、冗談、批評、諧謔(かいぎゃく)の備える膨大な質量にある。次々登場する奇怪な人物や事物を描き出しては、笑いを呼ぶ数々の挿話を織りなす言葉、文明論とも呼ぶべき硬質な思弁と猥談(わいだん)めいた下世話な噺(はなし)がいっしょくたになって氾濫(はんらん)する言葉——「小説的」としか形容しようのないそれら言葉の群れが恒星の巨大な躯(からだ)を構成する。宇宙空間を漂うガスや塵(ちり)が集まって星が誕生するように、無数の細部が集積することで本小説は出来上がり、異様な重力を放つのである。
 土台や骨組みがないのではない。いささか凡庸な人物であるメイスンとディクスンの珍道中という「主筋」をたどったり、先住民への虐待や奴隷制といった黎明(れいめい)期合衆国の呪われた歴史への告発の「主題」を見出(みいだ)すことは容易にできる。けれども、土台を確認し骨組みを析出すれば、小説を読んだことになるかといえば、違う。無数の細部が読まれることを待っているのだ。
 もちろん現実の読書では、つい注意が散漫になったり、なんとなく読み飛ばしたりしてしまうことは避けられず、全(すべ)ての細部を読むのは事実上不可能である。評者は本書をこの夏読んだといったけれど、実をいえば全然読み切っていない。本書は読み切るには質量がありすぎるので、しかし、これはすぐれた小説に共通の特質というべきだ。そもそも一冊の書物を読み切るとは、どのような状態を指すのだろうか。活字に万遍(まんべん)なく眼(め)を通せば読み切ったことになるのか。そうではないだろう。小説に話を限れば、一度眼を通しただけで、うん、わりと面白かった、と軽く片付けてしまうのではなく、何度読んでも、なお読まれることを密(ひそ)かに待つ細部を保持し続けるテクストこそが、すぐれた小説作品と呼ばれるべきなのである。
 訳文もまた、平板な読み易(やす)さにつくのではなく、原文の持つ細部の手触りや異物感を最大限に引き出そうと努め、読者に分かりにくいという理由から原作を簡単に改竄(かいざん)する傾向の見られる、英語圏翻訳者とは一線を画す訳者の高い志と水準を示している。
 それにしても、評者が本書を再び繙(ひもと)くのは何年先になるか。なにしろ「訳者あとがき」によれば、今後2年間に、ピンチョンの作品が新訳、初訳で次々出版されるというのだから。人生は短い!
 〈評〉奥泉光(作家・近畿大学教授)
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 柴田元幸訳、新潮社・上下各3780円/Thomas Pynchon 素顔も経歴も非公表の作家。研究者により、1937年米国生まれと判明している。本書の刊行は1997年。『V.』『競売ナンバー49の叫び』『重力の虹』『ヴァインランド』など。

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