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Kitano par Kitano-北野武による「たけし」 [著]北野武、ミシェル・テマン

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2010年09月05日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■ 「末期の目」に似た孤独な自意識

 複数の分野にエポックをもたらした人を天才と呼ぶなら、北野武はまぎれもない天才だ。「お笑い」と「映画」における彼の達成を否定できるものはいまい。しかしそれらは正当に評価されてきただろうか。
 映画監督としての北野武は、日本よりもヨーロッパ、とりわけフランスで高く評価されている。1999年にはフランス芸術文化勲章の「シュバリエ」を、2010年には「コマンドール」を授与されたほどだ。
 日本ではほぼ無冠の北野が、フランス人ジャーナリストに対してこれほど胸襟を開いてみせた背景には、そうした事情もあるのだろう。通訳と翻訳を介しての語り口には、いつもの照れやおちゃらけがないぶん、北野の思想の骨格とでもいうべきものが際立っている。
 貧しかった生い立ちから現在に至る生活史、映画の話、現代社会への意見表明という構成の中で、北野は、これまであまり語らなかったことをいくつも明かしている。師匠である深見千三郎の死にまつわる後悔。フライデー事件の“真相”。バイク事故で生死の境をさまよった時の思い。亡き母への思慕(しぼ)など。
 北野映画ファンとしては、詳細な自作解説が何よりもうれしい。黒澤やゴダールはともかく、キューブリックに対する高評価には驚かされた。絵に対する強い関心や、パウル・クレーとピカソについての独自の解釈も興味深い。
 保守寄り論客と思われがちだが、大江健三郎への意外なシンパシーや、小泉純一郎への両価的評価も率直に語る。マスコミや暴力団などのタブーを語る舌鋒(ぜっぽう)には、往年の辛辣(しんらつ)さが滲(にじ)む。
 「ビートたけし」と「北野武」を使い分けながら八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を続ける北野の姿は多重人格的だ。本書を読めば、それがコアな資質の多様な“表出”であることがよくわかる。
 北野はしばしば自らを、他者の視点から眺めることがあるという。森羅万象を愛惜しつつ、あらゆる執着から距離を置く透徹した語り口。そこにふとかいま見えるのは、まるで「末期の目」にも似た孤独な自意識だ。
 評・斎藤環(精神科医)
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 松本百合子訳、早川書房・1680円/きたの・たけし 47年生まれ。 Michel Temman ジャーナリスト。

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