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星座から見た地球 [著]福永信

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年08月22日

[ジャンル]文芸 科学・生物

表紙画像

■無数の星々へのやさしいまなざし

 福永信は虚構の成り立ちとストイックに向きあってきた作家だ。小説の安易な約束ごとには流されない。さあ、手にとってほしい。あなたのことが書いてある。あなたが生まれる前のこと、子どもの頃のこと、それから死んだ後のことも書いてある。
 登場人物は、どの挿話でもA、B、C、Dと素っ気なく名づけられている。みんな小さい人たちだ。赤ちゃんから、小学生ぐらいまでの、中には人間でないもの、生き物ですらないものもいる。各挿話の四人の行動も、挿話同士も、繋(つな)がりが有りそうで無さそうで有るかもしれない?! 家でシャボン玉を飛ばす子がいる。飛んでくるシャボン玉に出会う子がいる。ラブレターを投函(とうかん)してから悔やむ子がいる。誰かの手紙を知らずに誰かに届けてしまった幼子がいる。あっちにもこっちにも、脱ごうとした服が首でつかえ万歳の姿勢で歩き回っている子がいる。そこに物語の糸は繋がっているか? 時間は巻き戻らない。でもよく似たお話が反復される。作者はまるで天空に子どもらの描いた絵を貼(は)っていくかのように、小さな挿話を並べていく。
 星座から見た地球とは? かつて評論家の三浦雅士は「神経痛の牛と離婚した女性」を一緒くたに見る初期の村上春樹の眼差(まなざ)しをして、「この世の出来事を火星や金星から眺めている」ようと評した。深いメランコリーの表れだと。本書における福永信はどうだろう。各挿話の人物たちは区別がつかないようでいて、それぞれにAでありBでありCでありDという個だ。挿話は楽しく、懐かしく、しかし似ていても同じことは二度と起き得ない、その生の一回性が際立つゆえに痛切に哀(かな)しい。
 夜空に物語を読み取ろうとするから星座が見える。本来、星はばらばらに存在するものだ。星から見た地球でも、小さい生き物たちがてんでばらばらに動いているだろう。星を「星座」ではなく、ただ無数の星々として見る。それが、福永信のやさしく、奥ゆかしい、眼差しではないか。この天空に星座を読むのも読まないのも、読者の自由だ。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 新潮社・1575円/ふくなが・しん 72年生まれ。作家。著書に『コップとコッペパンとペン』ほか。

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