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原爆の記憶 ヒロシマ/ナガサキの思想 [著]奥田博子

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2010年08月08日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像



■ 真摯で奥行きのある歴史的思考


 広島、長崎の過去、現在、未来を著者独自の哲学で確かめつつ、本質的に問われていることは何か、その答えを示したのが本書である。ときに大著の頁(ページ)を途中で止めて考えこむのは、著者の真摯(しんし)で奥行きのある歴史的思考が20世紀から21世紀への橋渡しの役を果たしていることに気づかされるからだ。
 著者の思念は、被爆地広島、長崎を論じる従来の書のすべてを超えている。たとえば、広島という地名にしても、大日本帝国の軍都・廣島、戦後体制の一地方都市・広島、原爆の廃墟(はいきょ)から平和の聖地・ヒロシマ、ふるさとのイメージをもつ・ひろしまなどを使い分けることが重要な意味をもつという。原爆体験や被爆の記憶に耳を傾けるときの〈きく〉という姿勢について、「聞く」ことから始まり、「聴く」ことで言葉にならぬ意味を読みとり、「訊(き)く」で能動的にききだし、被爆者の心の奥底に残っている記憶との共有が可能になる。内向きのヒロシマの反核・平和運動の限界は「原爆被害者という弱者の側にさえ立っていれば良し」との安易な平和論にあるのではないかとの指摘など、覚醒(かくせい)と黙考の表現になんども出会う。
 「歴史は過去の記述ではなく、現在の再構築でもある」と著者は説き、被爆者を「感傷的に人間化」するのではなく、彼ら一人一人の人間性の回復、つまり私たちが戦争が奪った未来を想像する力をもつことだとの訴えは説得力をもっている。
 太平洋戦争下の原爆投下をそれこそあらゆる面から論じ尽くすその姿勢は、感傷や通俗的なヒューマニズムと一線を画し、ひたすら原爆を生みだした人類史の中で被害を受けた人たちの精神と思考に寄り添っていく。私たちは傍観者ではなく、文明に取りこまれながら誰もがヒバクシャとして歴史の中に立ちすくんでいるのであり、「国民国家というマクロな状況を一般市民というミクロな情況(じょうきょう)から検証する」必要性に通じている。
 難解な言い回しも目立つが、いつか生まれるであろうと予想された書だと確認したとき、興奮と感動を覚えてくる。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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 慶応義塾大学出版会・3990円/おくだ・ひろこ 南山大学外国語学部准教授。

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