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「野球と戦争」 [著]山室寛之 /「昭和十七年の夏 幻の甲子園」 [著]早坂隆

[評者]四ノ原恒憲(朝日新聞記者)

[掲載]2010年08月08日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 新書

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■弾圧、「聖地」では突撃精神鼓舞


 スポーツは五輪やサッカーのW杯を例に、戦争の比喩(ひゆ)でよく語られる。でも、その先に死や悲惨な暮らしが待ち受ける戦争と、本来、自由な精神と快楽が一体となったスポーツとは、全く異質ではないか。この2冊を読むとそんな思いを強くする。
 『野球と戦争』は、野球が、日中戦争から第2次世界大戦と戦況が泥沼化する中で、軍部、政府に、いかに弾圧されたかを、資料と、取材を交えつづる。中等野球、東京六大学、プロ……。勝利を目指す団結力、精神力が称揚された野球が、「敵国のスポーツ」「戦う国民には武道を」など手のひらを返し、時局におもねる声に押され、ほぼ消滅に追い込まれる姿は、悲しい。そんな中、敗戦直前、満州各地の野球人を招き野球大会を開いた満映理事長、甘粕正彦の存在は、ここでも異彩を放つ。
 こちらが「通史」だとすると、『幻の甲子園』は、開戦の年、昭和16年、文部省の“命令”で突如中止に追い込まれた夏の甲子園大会に代わり、翌17年、文部省と大日本学徒体育振興会主催の体育大会の一環として開かれた「夏の甲子園」に焦点を絞る。1回限り。「夏の甲子園大会」の正史からも漏れ、資料、また語られることも少ない大会の全試合を再現する。
 出場16校。今から見れば異形の大会だ。主催者は「選手」を「選士」と呼ぶ。突撃精神に反するので、打者は投球をよけてはならない。最後まで死力を尽くして戦うため、先発メンバーだけで戦え……。開会式のスコアボードの右上には「戦ひ抜かう大東亜戦」の字が。「海ゆかば」の唄(うた)で閉会式は終わった。
 が、主催者は違えど、甲子園は「聖地」。熱戦が続き、観客も多く、外面的な戦争のイデオロギーにあらがう「野球」の最後の輝きの一つとなった。
 神戸・西宮地区は敗戦を前に大空襲を受ける。軍に接収され、芋が植えられていた甲子園球場のグラウンドには不発弾が林のように突き刺さっていた、という。甲子園での開催再開は昭和22年から。今年もまた、球児の汗がしみ込む「聖地」にもそんな時代があった。
 評・四ノ原恒憲(本社編集委員)
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 『野球〜』中公新書・861円/やまむろ・ひろゆき▽『幻〜』文芸春秋・1680円/はやさか・たかし

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