書評・最新書評

裁かれるのは我なり 袴田事件主任裁判官 三十九年目の真実 [著]山平重樹

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2010年08月01日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像


■ 心ならずも書いた死刑判決文


 時代は変わっても、冤罪事件は後を絶たない。本書に取り上げられた袴田事件も、その疑いが濃厚な事件の一つである。
 1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)でみそ醸造会社の専務宅が焼け、一家4人の遺体が発見された。捜査は難航したが、事件発生から1カ月半後に従業員の一人、袴田巌が犯人として逮捕される。静岡県警は、1日平均12時間にも及ぶ厳しい取り調べを行い、その結果袴田は自白して、送検された。
 ところが、裁判になると袴田は無実を訴え、警察のずさんな捜査や取り調べが、明るみに出る。法廷で、矛盾だらけの自白調書45通のうち、44通が不採用になるという、異常な事態になった。にもかかわらず、袴田は最終的に有罪と認定され、死刑判決がくだる。
 本書はおもに、その主任裁判官を務めた熊本典道判事の視点で、書き進められる。熊本判事は、個人的に無罪の心証を抱きながら、合議制で有罪と決定したため、心ならずも死刑判決文を起草するはめになる。
 その葛藤(かっとう)から、熊本判事は裁判官をやめ、強い自責の念と戦いつつ、弁護士業に専念する。そして、ついに原判決から39年後、心情を公に吐露する肚(はら)を決める。その経緯が、本書にまとめられたわけである。
 一読するかぎり、この事件が冤罪であることは、明々白々に思える。熊本判事以外の2人の判事が、なぜ矛盾に満ちた多くの物証を受け入れ、有罪判決に傾いたのか、理解に苦しむ。逆に、そこが本書の弱点ともいえるわけで、他の2人が有罪の心証を抱くにいたった背景が、ほとんど描かれていない。あたかも、捜査機関に迎合したかのような印象を与えるのは、冤罪を強調するためとはいえ、いささかバランスを欠く。
 本書は、なぜ熊本判事本人の手記として書かれず、ルポのかたちをとったのだろうか。どのみち、裁判官の合議の内容を公表することが、規定違反と承知していたならば、いっそ手記として発表した方が、よかったのではないか。
 そこに不満が残った。
 評・逢坂剛(作家)
   *
 双葉社・1680円/やまだいら・しげき 53年生まれ。作家。『北海道水滸伝』『新宿愚連隊物語』など。

関連記事

ページトップへ戻る