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ほろにが菜時記 [著]塚本邦雄著 

[評者]平松洋子(エッセイスト)

[掲載]2010年07月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■「味覚美」に迫る、博覧強記ぶり

 わあ贅沢(ぜいたく)だなあ、塚本邦雄の味覚随筆を読めるなんて。粛々と読まなくちゃいけないかしら、と端座して「序」を開いたら、反写実主義を貫いた前衛短歌運動の先鋒(せんぽう)、美の王国の番人がいきなり机を叩(たた)いている。
 「アボカードはアボガドではない」
 スペイン語を背景にした中・南米産の果実なのだからアボカードと呼ぶべきだと宣言。
 「食物の呼称が間違っていると、もう賞味する気がなくなるのは、私の奇妙な潔癖のなせるわざだが、これは一方『歌人=言語芸術家』の宿命と考えてほしい」
 賜り物みたいにうやうやしく読むべきかと思っていたのに、風穴が開いてうれしくなってしまった。味覚にも厳密をもとめる自分の嗜癖(しへき)を、かすかに持て余している気配がある。旧字旧仮名遣いに徹して言葉の要塞(ようさい)を打ち立てた歌人は、つつましくも「奇妙な潔癖」と遠慮がちだが、わたしは「純度の高さ」と言い換えてみたい。
 じっさい、塚本邦雄の味覚の純度にはおそれ入る。「末黒野(すぐろの)の枯草(かれくさ)むらを掻(か)き分けて摘んだ幼い土筆(つくし)」は「風雅菩薩(ぼさつ)」の味わい。慈姑(くわい)には「一つ口に入れると涙ぐましいような懐かしさを覚える」。鮎(あゆ)をはじめ川魚や鮒鮨(ふなずし)に香気を見出(みいだ)し、いっぽう「私の舌と歯が承知する沢庵(たくあん)はまずない」。嫌いな佃煮(つくだに)はばっさり、「あれではおがくずを煮たって変(かわ)りはしない」。言語美に向かうとおなじように、味覚美(!)に毅然(きぜん)と迫る。
 味覚は、精神や官能を喚起する触媒でもある。だからこそ塚本邦雄にとって、触れたいときすぐ指に届く宝の函(はこ)、それが味覚だったのではないだろうか。
 歳時記にそくして五十四項。たとえば「夏」に採りあげているのは、茗荷(みょうが)。蓼(たで)。茄子(なす)。ローズマリー。蓮(はす)。菖蒲(しょうぶ)。辣韮(らっきょう)。薄荷。そらまめ。鮎(あゆ)。筍(たけのこ)。杏(あんず)。それぞれ故事来歴、学名の由来、古今の詩歌にいたるまで縦横無尽の博覧強記ぶり。ころんとまるい蓮の実への偏愛(明言したひとをほかにしらない)の言葉などやっぱり豪華絢爛(けんらん)、幻を喰(く)わせてもらう心地を味わう。
 評・平松洋子(エッセイスト)
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 ウェッジ・1470円/つかもと・くにお 1920〜2005年。歌人、評論家。『王朝百首』など。

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