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春日井建全歌集 [著]春日井建著 

[評者]穂村弘(歌人)

[掲載]2010年07月25日

[ジャンル]文芸

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■生のただ中に降る、死の流星群のよう

 二〇〇四年に亡くなった春日井建の全歌集である。第一歌集『未青年』から第九歌集『朝の水』までの作品が収められている。その序文に三島由紀夫が「われわれは一人の若い定家を持つたのである」と記した『未青年』は、戦後の短歌史における伝説的な青春歌集となった。
 
 大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき
 
 作中に詠(うた)われているものを実際の風景としてみれば単なる夕焼けに過ぎない。だが、作者はそのなかに「大空の斬首ののちの静もり」をみてしまう。ここには死に対する異様なまでの感受性がある。
 
 火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり
 火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ
 
 同様に、これらの歌においても、「火祭りの輪を抜けきたる青年」の表情が「死顔」、また「跳躍の青年」の肉体が「血ぬられて」と、それぞれ表現されている。若さの極点である筈(はず)の青春に死の幻影をみる感覚、その逆説的な普遍性が鮮やかに作品化されている。
 確かに、万人の生の結果だけをみればそれは死に他ならない。死なない者はいない。我々はそのことを知っている。ゆえに普通は死を怖(おそ)れ、できる限り遠ざけようとする。死の本体だけでなく、それに繋(つな)がる老いや病やウイルスや排泄(はいせつ)物などに対しても、抵抗、除去、隠蔽(いんぺい)を試みる。だがその一方で、抗菌グッズに取り囲まれた我々は、死を遠ざけることが生から輝きを奪う、という理(ことわり)に薄々気づいてもいる。しかし、コインの裏表のような死/生を分離する方法がわからない。かくして、我々は死の匂(にお)いから懸命に顔を背けながら、ぼんやりとなまぬるい生を生き続けることになる。
 若き春日井建の歌は、このような生の直中(ただなか)に降り注ぐ死の流星群を思わせる。圧倒的な熱と光を浴びて、世界はもう一度輝きを取り戻す。健康や安全や幸福を超えた生そのものの価値、その眩(まぶ)しさを束(つか)の間(ま)私たちにみせてくれるのだ。名前の「建」を「健」と誤記されることの多かった作者が、自己紹介の折などに「人でなしの『建』です」と冗談めかして名乗っていたことをふと思い出す。
 だが、そんな彼を現実の大きな病が襲う。本歌集の終盤は、中咽頭癌(いんとうがん)が発見されて後の作品集である。
 
 予報士は雪と報じぬ中空は何ごともなくただ冴えかへる
 
 かつてそこに「大空の斬首」をみた空が、今は「何ごともなくただ冴えかへる」。だが、この緊迫感はどうだ。未来を告げる「予報士」には医師が、天空の異変としての「雪」には宣告された病が、それぞれ投影されているように思える。反転した世界のなかでも、やはり作者の詩魂は死と共にあったのだろう。
 〈評〉穂村弘(歌人)
     *
 砂子屋書房・8400円/かすがい・けん 歌人。1938〜2004年。『友の書』(雁書館)、『白雨』(短歌研究社)で日本歌人クラブ賞と迢空賞を受賞。歌集に『行け帰ることなく』『井泉』など。

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