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悪と仮面のルール 中村文則著 人の死、生の歪み、償いはあるのか

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年07月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像


 「悪」のつく小説が最近多い。『「悪」と戦う』『悪貨』、間もなく出る『悪の教典』、そして本書。ここに『悪人』や『1Q84』なども含めて評論すれば、21世紀日本版の「文学と悪」が書けそうだ。
 父殺しと自己の抹消を扱った本書は、軍需産業やカルト教団、テログループの活動などを盛りこんだサスペンスだが、作者は善と悪だけでなく、「正と誤」「美と醜」「真と偽」「価値と無価値」といったベクトルも絡みあわせる。語り手はさる財閥一族の「邪」の系譜に連なる男だ。「悪の欠片(かけら)」として育てられ、いずれ「地獄を見せる」と父に宣告された彼は、最愛の美しい少女と自らを守るため、父を死に至らしめる。顔を整形し他人の身元を盗んで新たな人生を歩きだそうとするが、周りを刑事が嗅(か)ぎ回るようになり……。
 語り手は父と兄という血縁の「邪」と対峙(たいじ)することになる。そもそも人を殺すことは常に悪か?なる問いが出てくるが、作者は語り手の行為に一段微妙なクッションを設け、主題をいっそう深く掘りさげる。どちらの場合も彼は相手の体に直接手をかけない。殺すのではなく「死んでもらう」のだと。この殺害感覚の遮断は、本書でも言及されるハイテク兵器のそれにも通じるだろう。だが語り手は後に言う。「人間を殺した衝撃を……ちゃんと受け止めた時、人間は確かに誤作動を起こすよ」。自分のなした「ルール違反」とそれによる歪(ゆが)みを、彼は受け止めようとする。いずれ進んで法の裁きを受けるかもしれない。しかし自分の行為が量刑に換算され解消されることは拒んでいるようだ。償いはあるのか。
 ラストは語り手の再生への端緒を暗示するポジティブな場面に見える。おそらくその通りだろう。しかし意地悪な目で見れば、実はこの語り手は叙述の仕掛けにより、自らの語る物語から、そうと気づかぬまま永久に出られないようになっているのだ。叙述形式をもって、善と悪、幸福と不幸の狭間(はざま)に無限に宙吊(ちゅうづ)りにされるのが、語り手に下された罰だとすれば、これは随分恐ろしい書である。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 講談社・1680円/なかむら・ふみのり 77年生まれ。「土の中の子供」で芥川賞。『掏摸(すり)』で大江健三郎賞。

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