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渡りの足跡 [著]梨木香歩

[評者]石川直樹(写真家・作家)

[掲載]2010年07月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■「たったひとつの道」をゆく鳥たち
 渡りの季節になると、インドガンは標高九千メートル近くまで上昇し、ヒマラヤ山脈を越えて旅をするという。人間を拒絶するその高さを悠々と、しかし命懸けで飛ぶ鳥たちの話を聞いて以来、ぼくは鳥の「渡り」というものに興味を抱き続けてきた。本書はそうした関心をさらに深く、奥の方へと導いてくれる指針のようなエッセイ集である。
 知床をはじめとする北海道、新潟、諏訪湖、ロシア沿海州と旅をしながら、鳥たちの足跡を辿(たど)り、目の前の世界を注視する。その眼差(まなざ)しに慌ただしさは微塵(みじん)もなく、じっくりと射貫くような鋭さをもって、鳥の小さな羽ばたきさえも見逃すことはない。
 起こっていることを正確に把握することを観察というならば、著者はそれを真摯(しんし)に実行し、そこで得たものを読者と分かち合おうとしている。先に旅立った鳥があたかも後進の鳥に進むべき道のヒントを与えてくれているかのように。
 本書で言及されるのは、鳥たちの営みだけではない。北方少数民族アリュートのカヤック文化やシベリアを探検したアルセニエフとその案内人デルスー・ウザラー、戦前にアメリカへ移民した人々、さらには都市にはびこる訪問販売のような技にいたるまで、鳥の渡りを端緒に、そうせざるをえなかったたった一つの道について考えていく。
 渡りは「持てる感覚、経験知を総動員してその場の状況に応じて全(すべ)ての判断を自分で下し」ながら、進路を切り開き、自分に適した場所へ還(かえ)っていくことである。その先に島があるかどうかもわからないのに沖に向かって漕(こ)ぎ出した古代の航海者や、生きるべくして死ぬ道を選んでいった冒険者たちの行為もまた同様だろう。人も鳥も、本能と直感に従って生き抜こうとすれば、自らを賭した旅に出るときがくる。しかしそれは、ありがちな感傷や悲壮感とは無縁の「たったひとつの道」なのだ。
 それぞれの章末に、登場した鳥に関する短い解説がある。専門的なものではないが、そうした心配りも嬉(うれ)しい。
 評・石川直樹(写真家・作家)
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 新潮社・1365円/なしき・かほ 59年生まれ。作家。『西の魔女が死んだ』『からくりからくさ』など。

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