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悪貨 [著]島田雅彦著 

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2010年07月11日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■精巧な贋金が波紋を広げながら

 小説を贋金(にせがね)にたとえる発想は昔からあった。これは、文字で埋められた原稿用紙を紙幣にすりかえる、売文業者の営みが贋金作りのようだ、という意味でもあるが、なにより小説というものが、「真実らしく見える贋物の現実」を作り出し、世間に流通させることで、私たちが自明としている世界のイメージや、日常の深部にまで根を下ろし動かしがたく見える「現実」に打撃を与える可能性を持つからだろう。贋金作りは国家と資本制へのテロリズムであるが、小説家もまた虚構の物語と言葉を武器に、硬直した「現実」にゲリラ的に挑戦しようと密(ひそ)かに企(たくら)んでいたりする。
 その意味で、島田雅彦こそ、デビュー以来、終始一貫、贋金作りに励んできた作家といっていいだろう。その島田雅彦が贋金そのものを主題に据えた。
 物語の発端は、ホームレスの男に何者かが与えた百万円。これは実は精巧な贋金であり、そのカネが波紋を広げながら、マネーロンダリングに携わる女性宝石商やら、天才印刷工やら、潜入捜査をする美人刑事やら、巨額の資金に支えられ地域通貨を流通させる宗教団体やらが絡みあうなかから、中国に本拠をもつ大規模な贋金作りの組織が浮かび上がるのが前半。後半は、贋金を武器にハイパーインフレを引き起こすことで、資本制と国家を壊滅させようとする「革命家」の男の、破滅に至るまでの姿が、崩壊していく日本経済を背景に描かれる。一篇(いっぺん)は恋愛ありサスペンスありの、スピード感あふれるエンターテインメント小説として面白く読んでいけるのであるが、これが贋金としてどこまで力を発揮できるかは分からない。
 ただ少なくとも、贋金作りの個性がここに刻印されているのは間違いない。たとえば、日本経済を破滅に陥れ、自分自身も苦境に立たされた男が、カワハギを東京湾で釣って寿司(すし)屋に持ち込み食う場面。そんなことをしてる場合か! と思わずいいたくなるような、人を食った男の振る舞いは、実に島田雅彦的だ。本書には栞(しおり)代わりの「零円札」がおまけについています。
 〈評〉奥泉光(作家・近畿大学教授)
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 講談社・1680円/しまだ・まさひこ 61年生まれ。作家。『退廃姉妹』『徒然王子』など。

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