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柚子の花咲く [著]葉室麟 

[評者]江上剛(作家)

[掲載]2010年07月11日

[ジャンル]文芸

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■まっすぐに生きてさえいれば

 著者の『花や散るらん』『オランダ宿の娘』、そして本書を立て続けに読んだ。前の二書は忠臣蔵、シーボルト事件という史実を縦糸に、著者が創造した主人公の悲哀を横糸に織り成す物語だが、本書『柚子の花咲く』は少し趣が違い、有名な史実を採用していない。
 瀬戸内の日坂藩、鵜ノ島藩の干拓地を巡る境界争い(史実か否かは知らない)に絡んで牢人(ろうにん)梶与五郎が殺されたところから物語は始まる。梶は武士、町人、農民が一緒に勉強する、郷学(きょうがく)と言われる村塾の教師だった。「戦場においては相手など選べぬのだぞ」と身分に関係なく相撲を取らせ、遊ばせ、また藩校を受験する子供たちには朝から夜まで徹底的に学問を教えるなど、愛情あふれる兄貴的教師で子供たちに人気があった。
 ところが死んだ途端になぜか悪評がたった。教え子の一人、日坂藩士筒井恭平はそれが許せない。恭平は決して成績が良くなかった。しかし梶は恭平を「身を捨てて仁をなす奴(やつ)」と評価していた。「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」が梶の口癖。恭平は、まさに柚子のように長くかかって花咲くタイプなのだ。
 恭平は鵜ノ島藩に潜入し、梶の死の謎に命がけで挑む。ミステリーなので結末を書くわけにはいかないが、謎を追う過程で梶ばかりでなく、周辺の人たちの人生の哀(かな)しみが見事に浮かび上がってくる。謎解きの楽しみばかりではなく、自分らしく生きることの難しさを改めて教えられ、深い共感を覚える。
 最後の場面で大人たちに背き、子供たちが梶の死後も村塾に籠(こも)り、守り続ける理由が明らかになる。それは「人」をじっくりと育てない現代教育へのアンチテーゼにもなっている。
 読んでいる間中、私の心にはさわやかな風が吹いていた。恭平が、凜(りん)とした厳しさ、美しさを見せているからだ。「徳は孤ならず、必ず隣有り」という孔子の言葉を思い出した。まっすぐに生きてさえいれば、孤独ではない、支える人が現れるという意味だ。まさに恭平の生き方で、強く勇気をもらった。
 評・江上剛(作家)
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 朝日新聞出版・1785円/はむろ・りん 51年生まれ。作家。『銀漢の賦』『いのちなりけり』『秋月記』など。

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