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思想史家が読む論語 「学び」の復権 [著]子安宣邦

[評者]江上剛(作家)

[掲載]2010年07月04日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像


 ■先人の解釈たどり、読み方を提示

 東京・お茶の水の湯島聖堂内に論語の塾があり、私も通っているが、驚くことにどの教室も老若男女で満員だ。漢文のままの論語テキストで講義を受ける。「学びて時にこれを習う」という聞きなれた章句も「習うとは、鳥の羽ばたきを意味し、幼鳥が必死で親鳥のまねをして飛ぶ訓練をしている様を言う」と教授に解説されると、充実した納得感がある。
 論語は、2500年前の孔子の言葉が没後400年もの長い期間を経てまとめられたものだ。本人が書いたものではないため、さまざまな読み方がなされてきた。ましてや日本では漢文で書かれた論語を「読み下し」という独自の翻訳技術を駆使して読んでいるため、読む人によって解釈が違う。そのためかどうか、さまざまな人が書いた論語本を読むたびに果たしてこれは孔子の考え方なのか、著者の考え方なのか、と隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を抱くことが多かった。
 ところが本書を読んでいると論語塾に通い、教授から先人たちの読み方を教えられ、自分なりの論語の読み方に取り組んでいる自分自身を発見し、非常に愉快になる。著者はそれぞれの章句に対して朱子、伊藤仁斎、渋沢栄一など先人たちの読み方をたどり、それらを踏まえて自身の読み方を提示する。
 例えば「民、信無くんば立たず」という有名な章句について著者は、食より信を優先すべきだとの仁斎の読み方を批判し、為政者が死をもっても守るべきは民における人固有の徳・信であるとの朱子の道徳主義のすごさに感じ入り、両者に批判的な荻生徂徠の読み方も紹介する。そして、自身の読み方として「お上を信じることができなくなったら、人民はもうこの国にはいられない」と現代政治への鋭い批判を投げかける。
 経済人にとっては渋沢栄一の読み方が参考になる。「死生命あり」について渋沢は自己の尽くすべき本分は十分に尽くし、その上で天命に任せるべきだと言う。現在の政治経済の混迷を憂える時、本書で論語を学び、それを思想的基盤にしたリーダーが登場することを切に願う。
 評・江上剛(作家)
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 岩波書店・3360円/こやす・のぶくに 33年生まれ。大阪大学名誉教授。『江戸思想史講義』など。

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