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昭和の爆笑王 三遊亭歌笑 [著]岡本和明

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2010年07月04日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■落語のリズムで苦闘時代を再現

 いわば、この本自体が一席の落語であり、人情咄(ばなし)である。
 わたしは、子供のころから落語が好きで、よく寄席に行ったものだが、三遊亭歌笑については、当時耳にした覚えがない。歌笑は昭和25年、わたしが6歳のときに早逝(そうせい)し、死後急速に忘れられたこともあって、知る機会を得なかったのだろう。その後、柳亭痴楽が〈痴楽綴方(つづりかた)狂室〉で人気が出たとき、それが歌笑の〈純情詩集〉の衣鉢を継ぐものだ、と知ったのはだいぶあとのことになる。
 高座に上がるとき、わざと面相を崩した痴楽と違って、歌笑は母親からも疎まれるほどの、生来の醜男(ぶおとこ)だった。著者は本書のほぼ4分の3を使って、家出に始まる歌笑の苦闘時代を、克明に再現する。会話を多用し、小気味よいテンポで運ぶその語り口は、まさに落語のリズムといってよい。容貌(ようぼう)に対する劣等感から、咄家(はなしか)になるしかないと思い詰める歌笑、彼を理解しようと努める数少ない人びとの、それぞれの心情がないまぜに描かれ、胸にしみ込んでくる。
 三遊亭金馬の弟子になり、戦後やっと人気が出るまでの長い雌伏期間は、特に読みごたえがある。厳しいながらも温かい、師匠金馬の人柄がよく描かれており、読んでいる方もつい泣き笑いを誘われる。容姿や高座のスタイルのことで、周囲の先輩落語家たちからいじめられる歌笑を、兄弟弟子やのちの小さんがかばう姿も、戦中戦後のすさんだ時代にあって、ひとしおすがすがしさを感じさせる。いささか、小説的な展開になったきらいはあるが、著者の温かいまなざしと筆致は、落語への愛が強く感じられて、まことに快い。醜男の歌笑が、とびきりの美女と結婚するくだりなど、ほほえましさを通り越して、拍手を送りたくなるほどだ。
 戦後、にわかに人気者になった歌笑は、恩人の通夜に遅れまいと、銀座通りを横切る際に米軍ジープにはねられ、衝撃的な最期を遂げる。著者は、あえてそこによけいな感傷を差し挟まず、あっさりと筆をおいて、余韻を残すわざを見せた。
 好著である。
 評・逢坂剛(作家)
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 新潮社・2100円/おかもと・かずあき 53年生まれ。著書に『志ん生、語る。』『志ん朝と上方』など。

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