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私の日本語雑記 [著]中井久夫

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2010年06月27日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■IT社会の影響憂い“言語多様性”を擁護

 著者は「風景構成法」の開発や統合失調症の「寛解過程」の研究、震災体験を契機としたPTSDの研究などで知られる精神科医である。
 私を含むある世代以上の精神科医には、数多くの“中井伝説”が知られている。臨床家としてのそれはもとより、「ことば」にまつわる伝説が実に多い。「本の背表紙を眺めていると中身が全部出てきて苦しいからと、すべて逆さまに並べていた」「ドイツ語の読書で疲れた頭をフランス語の本で癒やしていた」等々。
 色調が浮かばないゆえロシア語だけは駄目だったと恐ろしいことを口にする中井には、完全に余業の域を超えた翻訳家としての顔がある。それも精神医療に限らず、数多くのギリシャ詩の翻訳やヴァレリーの代表作『若きパルク』を、詳細な注解付きで出版している。
 こうした背景を踏まえるなら、中井がはじめて「ことば」を主題に取り上げた本書が、いかに待望されたものであったかは容易に理解されるだろう。むろん「雑記」とあるように、体系だった思想が示されるわけではない。しかし数学者が数の実在を信ずるように、中井が“言葉の実在”へと向ける篤(あつ)い信頼は、本書の通奏低音として響いている。
 冒頭、まず「あのー」の機能が徹底して解剖される。この軽んぜられがちな間投詞は、実は内向的なためらいであり、語りかけの作法であり、やんわり聴衆を巻き込む方略であり、語りに情意を生み出す潤滑油である、と。
 あるいは日本語における文末処理の難しさが語られる。文意の否定・肯定、あるいは敬語のレベルは文末で決まる。ここから中井は「演算子文法」を着想している。文末が次の語や文を喚起する「接続の妙」に関する技法論であるという。
 以上を読むだけでも、中井の発想が徹底して臨床家視点のものであることがわかる。間投詞や言葉の接ぎ穂をどうするかで、面接の雰囲気ががらりと変わってしまうことは、臨床家ならみな覚えがあることだ。
 本書の後半、中井の相貌(そうぼう)は翻訳家としてのそれに変わっていく。「言語は風雪に耐えなければならない」とする中井は、言葉をあたかも言語世界という生態系に棲(す)み分け進化する生きものとみなす。
 それゆえ中井が憂うのは、IT化がもたらす言語(実質的には英語)の一元化である。「絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーション」であるとして、何が問題なのか。一つには「言語専制下では、複雑な事態に対して過度の単純化が行われ」がちなためだ。そうなれば「世界はすりガラスのように見えなく」なり、あるスローガンのもとで自壊するかもしれない。それゆえ中井は、生物多様性と同様に“言語多様性”を擁護しようとする。
 ここに至って、私たちは気付くだろう。精神科医と翻訳家がともに「文化移転者」とされるのは、多様で複雑な世界の肯定という責務を共用しているためであることに。
 〈評〉斎藤環(精神科医)
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 岩波書店・2100円/なかい・ひさお 34年生まれ。精神医学者。神戸大学医学部教授、兵庫県こころのケアセンター初代所長などを歴任。『記憶の肖像』『家族の深淵(しんえん)』など。『カヴァフィス全詩集』の翻訳で第40回読売文学賞の研究・翻訳賞を受賞。

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