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皇太子婚約解消事件 [著]浅見雅男 

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2010年06月20日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■宮中内部の葛藤の実相に迫る

 近代日本の皇太子妃はどのようにして決まったのか、本書が解き明かしているのは嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)と九条節子(さだこ)の婚約の経緯(いきさつ)とその間の宮中内部での葛藤(かっとう)の実相である。これまで昭和天皇と香淳皇后の結婚については、「宮中某重大事件」なる語で語られてきたが、大正天皇の場合にも実は「婚約内定取り消し事件」があった。
 この事件の検証が不十分だったのは、明治期の基礎文献を読みこなし、皇族の家系図を正確に理解していること、軸になる回想録や日記を見いだすこと、の2点に精通する研究者が不在だったからだ。著者はこの2点を満たすことで、明治30年代の皇太子妃決定の背景に多様な問題が隠されていることを伝える。伏見宮貞愛(さだなる)親王の第一女禎子(さちこ)女王が十数人の候補者の中から皇太子妃に内定する。明治26年5月、禎子女王はまだ8歳である。明治天皇が、性質や容貌(ようぼう)、それに皇族であることなどがいたく気にいったのだ。将来、病弱な皇太子の気弱な性格を補うとも考えたのであろう。天皇は宮中顧問官で内親王の養育掛(がかり)でもある佐佐木高行にお妃(きさき)選びへかかわりをもたせているのだが、この佐佐木の残した日記(『かざしの桜』)をもとに、著者独自の分析を交えつつなぜ婚約解消が起こったかを説き続ける。
 婚約から5年半後の明治32年3月、天皇は「婚約を解く」ことを前宮内大臣の土方久元から貞愛親王に伝えさせた。禎子女王の健康(結核の疑い)に問題ありと侍医団や側近からの報告と説得があり、天皇は逡巡(しゅんじゅん)を重ねた末に決断している。つまりは公爵九条道孝の娘である節子に決まるのだが、この間の著者の説明は、伊藤博文の皇太子観や他の皇族などの不満や嫉妬(しっと)を紹介しつつ密度の濃い記述である。とくに天皇が貞愛親王に解消を伝えるのにどれほど気を使ったかを既存文書の矛盾を解説しながら明かすのは本書の秀逸な部分となっている。
 著者の理解の底には、「健全な」明治が、昭和で崩れたとの思いがあり、宮中側近や政治指導者のあるべき臣下の姿勢を問う記述には納得させられる。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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 角川書店・1575円/あさみ・まさお 47年生まれ。『華族たちの近代』『皇族誕生』など。

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