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権威の概念 [著]アレクサンドル・コジェーヴ 

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2010年06月20日

[ジャンル]人文

表紙画像

■肩の力抜いた、哲学のエッセンス

 ヘーゲルの『精神現象学』で挫折し、コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』でさらに挫折した世代に朗報。本書では、肩の力を抜いて両方の哲学のエッセンスに触れることができる。
 もちろん、権威のありようを現象学的に分析して、なぜ権威が存在するのか、権威の形而上(けいじじょう)学的基礎は何かと問い、さらに政治の領域へと演繹(えんえき)してゆく手法は厳密な学問のそれである。でも大丈夫。一般人には一般人の読み方がある。現に、身辺の世相を思い出しながら本書を読むと、しばしば抱腹絶倒するのだが、思えば『精神現象学』もそうではなかっただろうか。
 さて、Aが権威をもってBに働きかけるとき、Bは対抗することが出来るのに対抗しない。これが権威の基本だとすると、物理的強制力を発動するのは権威がないことの証しになる。強行採決が続くかの国の国会に、権威はないということである。またたとえば、政治家たちは「数は力」と言うが、多数派がある以上、少数派があるわけで、後者が前者に対抗している限り、前者に権威はない。単純に数の優位に依拠した体制は、物理的強制力に依拠した体制である。
 またさらに、権威と法の関係を見てみると、法はそれを承認する者にとってのみ権威を持つ。なるほど、政治資金規正法が政治家たちによってかくも蔑(ないがし)ろにされる理由はこれだが、仮に権威を失っても、法はその強制力によって法であり続ける。政治家が言う合法性とは、まさにコジェーヴが「権威の屍体(したい)」と呼んだもののことである。
 本書は、権威を父・主人・指導者・裁判官の四つの原理に分類する。それらが歴史のなかでさまざまに生起し、分化し、対立してゆくのだが、いまや伝統=父の権威は失われ、民主主義国家では残る三つの権威も分割されて、その分、各々(おのおの)の地位も低下している。また、各々の権威の担い手の境界さえあいまいなのが政治的な現実であるが、このような分割状況も、理論上は、やがて成熟した有機体としての統一へと向かうとするところが、いかにもヘーゲリアン、コジェーヴと言えようか。
 評・高村薫(作家)
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 今村真介訳、法政大学出版局・2415円/Alexandre Kojeve 1902〜68年。モスクワ生まれの哲学者。

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