書評・最新書評

フーコー 思想の考古学 [著]中山元 

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2010年06月20日

[ジャンル]人文

表紙画像

■消えゆく「人間」にこめられた期待

 ミシェル・フーコー。彼の思想はポストモダニストと呼ばれた思想家たちの中でも、とりわけ射程が深い。「生の権力」批判などは現代においてこそアクチュアルだ。日本でも、芹沢一也や佐々木中といった若い研究者によって、フーコーの現代的な継承が試みられている。
 著者はインターネットの哲学サイト「ポリロゴス」を主宰するかたわら、数多くの翻訳や入門書を通じてフーコーを紹介し続けてきた。本書は晩期フーコーを扱った『賢者と羊飼い——フーコーとパレーシア』、中期フーコーを主題とする『フーコー 生権力と統治性』に続いて、初期のフーコーの仕事を緻密(ちみつ)に解読した労作だ。
 本書で検討されるのは、1950年代から60年代にかけて書かれた『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『知の考古学』『言葉と物』といったフーコー初期の著作群である。精神医学や心理学への本質的な批判が冒頭に置かれ、個人的にも引きこまれる。
 しかし本書の白眉(はくび)は、何と言っても第七章だろう。61年に博士論文『狂気の歴史』の副論文として提出されつつも、ほとんど読まれなかった「カント『人間学』の序」について、詳細な解説と検討がなされている。
 フーコーによれば、世界は「源泉、領域、限界」という三重の構造のもとに現れる。カント以降の哲学は、この本質的な分割の構造を否定しつつ反復してきた。
 言語の発生を考えるには、言語の存在を前提にしなくてはならない。このように、いかなる起源をめぐる問いも、起源がすでに現在に含まれていることを明かすのみだ。それゆえ人間をめぐる問いかけは、人間をその同一性のもとに再発見するものにしかならない。現代哲学が落ち込んでしまう、この「人間学的な眠り」を逃れるには、「人間」を消し去るほかはない。
 そう、砂浜に描いた顔のように消えていく「人間」にこめられたのは、フーコーの絶望ではなく期待なのだった。本書はそうした期待を継承するであろう若い世代へと向けた、すぐれた啓発の書でもある。
 評・斎藤環(精神科医)
     *
 新曜社・3570円/なかやま・げん 49年生まれ。哲学者、翻訳家。『賢者と羊飼い』など著者多数。

関連記事

ページトップへ戻る