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婆のいざないー地域学へ/旅学的な文体 [著]赤坂憲雄

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2010年05月16日

[ジャンル]人文 社会

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■「いくつもの日本」という多様性へ

 「わたしは東北をフィールドにして、宮本常一のいう〈歩く・見る・聞く〉を自分なりのスタイルで実践してきました」
 著者は一九九〇年代から東北を中心に「聞き書きの旅」を続けてきた民俗学者。東北学を立ち上げた在野色の濃い研究者とも位置づけられる。期を同じくして刊行された二書のうち、『婆のいざない』は、その研究成果を平易に説明した書、そして『旅学的な文体』は旅によって何かを見る、何かを学ぶ旅師たち二十六人の紀行文やその一文を解析しつつ、自らが足を踏みいれた村の風景や習慣を丁寧に説き明かした書である。
 民俗学にとって、「聞き書き」は基礎的な営為である。著者も指摘するように、インタビューや聞き取り調査などともまったく異なる。農民や庶民三百人余の聞き書きのあげくに著者の辿(たど)りついた結論、「(聞き書きとは)何か精妙な生き物のごときもの」は強い内的な問いかけを含んだ表現だ。二書を通じていえることは、近代などわずか百年余、幕藩時代とて三百年足らず、ムラに生きた人々には一万年続いた縄文時代からの意識、生活習慣が脈々と続いていたのではないかとの実感である。
 だからといって、日本文化の起源を縄文文化に求めるのも誤りで、縄文時代には「国境」はなく、「日本」も存在しなかった。
 二書で著者は重要な指摘を行っている。産土(うぶすな)の地にあっての人生の連環、共同体の信仰、自然との共生が智恵(ちえ)として存在したのに、近代日本はすべての国民が「天皇の赤子」であるとの「言説を捏造(ねつぞう)」しての国民国家を創設した。イエ・郷土・国家を連続したものとして捉(とら)える国家の統合原理にこそ「よじれた逆説」があったと主張するのだ。南方熊楠の説を賞揚(しょうよう)しつつ、近代日本の錯誤を衝(つ)いている。
 著者は、「ひとつの日本」という歴史の見方ではなく「いくつもの日本」「いくつものアジア」への多様性を訴えている。
 柳田国男、折口信夫を先達としつつ、宮本常一のような旅師の存在で民俗学は深化した。それを継ぐ赤坂民俗学が今、確立されつつあるのではないか。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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 『婆のいざない』柏書房・2625円▽『旅学的な文体』五柳書院・2100円/あかさか・のりお 民俗学者。

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