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闇の奥 [著]辻原登

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年05月02日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■魔境へ…魅入られた者、捜索する者

 まず、題名が衝撃的な一つのマジックだ。本作は文芸誌に連作として間断的に発表されたが、その時は全く別の、ばらばらの題名だったはず——それが長編として、コンラッドの『闇の奥』と同名のタイトルを帯びて登場すると、そこに壮大なモチーフが全姿を現した。何年もかけて仕掛けられた小説の罠(わな)? 作中にも軽妙で大胆な仕掛けやオマージュが潜む。
 作中の人々は、伝説の矮人族(ネグリト)に惹(ひ)かれ、それを追って北ボルネオの森で姿を消した紀州の民俗学者に惹かれて、ボルネオ、チベット、熊野の秘境へ誘(いざな)われゆく。この学者・三上隆がコンラッドの小説のクルツ役とすれば、「三上隆捜索団」の団長やその教え子らはクルツを探してコンゴ川を遡航(そこう)するマーロウだろう。捜索する面々は、川を上って元首狩り族の小人村へ、後には三上が暮らしたというチベット奥地のネグリトの村を目指す。物語は団長の息子(辻原の分身)を語り手に、録音テープなどを交え時間軸をくねらせながら、中国のチベット侵攻、ダライ・ラマの脱出、和歌山の「毒入りカレー事件」などの史実までとりこんで継がれていく。
 描かれるのは、何かに深く魅入られた者たちだ。作者はそこに「蝶(ちょう)を追う者」という表象を与え、彼らはみな珍しい蝶に導かれるように魔境へ入りこむ。こうした蝶追い人のビジョンは、作中にも引用されるナボコフや、ジイドが書いた『コンゴ紀行』などに喚起されたのかもしれない。何かに憑(つ)かれるとはどんなことか? 本書で何人もが口にするのは、「会ったこともないのになつかしい」という鋭い情緒=ポルトガル語のサウダーデである。「白雪姫」から『1Q84』にまで出てくる小人とは、人間の感情の最古層に訴える力があるようだ。
 コンラッドの『闇の奥』は西欧植民地主義批判としても読まれてきたが、その初訳が出た頃、日本も南進政策の最中だったという皮肉がある。侵攻されたボルネオ、さらにチベットを舞台にもう一つの『闇の奥』を書いた作者の企図の深さ大きさを感じずにはいられない。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 文芸春秋・1575円/つじはら・のぼる 45年生まれ。「村の名前」で芥川賞、『花はさくら木』で大佛次郎賞。

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